このように考えるのではなく、ヒトの社会における権力分散を大規模な綱引きとして考えるのが最も理にかなっているというのが私の見解だ。
綱の一端には個人が他者を支配したいという衝動がある(これは大なり小なりすべての人に存在する)。才能や技能、能力、あるいは幸運な状況を利用して、ほかの人々より少しだけ高い地位を手に入れたいという衝動だ。
綱の反対側で引っ張るのは、要約すれば他者の集団的利益の力である。綱引きの例にもれず、たいていはどちらか一方の側が優勢になる。
一部の社会や、歴史上の一時期には、「集団的利益」チームが優勢のように見えることもあるだろうが、時期によっては「個人の利益」チームのほうが強く引いているように見えることもある。そのとき、エリート(専制君主、皇帝、独裁者)の小さな派閥が、はるかに大きな集団を征服し、厳しく支配するのだ。
ヒトの社会の2つの重要な原理
この綱引きのたとえは、2つの重要な原理を示している。
1つ目は、ヒトはもともと権力の追求や保持に反対しているわけではない点。実際、ほとんどの人は地位や富を気にするし、なかには社会を支配することによって得られる機会から大きな恩恵を受ける人もいる。
そして2つ目の原則は、社会における権力の不在は欠落ではなく、機会を逸した結果でもないし、誰も得ようとしなかったからそうなったわけでもない点だ。
権力の空白は、絶えず緊張状態が続いた結果であり、多数の人が少数の人に対抗しようとする努力を通じて能動的に維持されるものである。
(翻訳:藤原多伽夫)
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