「三浦跡職之義、氏真へ御断り申し届け、申し含むべき事」
家康が庇護していた今川氏真の了承を得たうえで、今川氏の筆頭家老である三浦家の名跡を与えるというのだ。結局、その後も奥平氏は「三浦氏」を名乗っていないので、実現にあたって困難が生じたのかもしれない。いずれにしても、家康が誠意を示すには十分な内容だったといえるだろう。
そして、最後の7カ条目「信長御起請文取り、これを進ずべく候。信州伊奈郡之義、信長えも申届くべき事、付、質物替の事、相心得候事。己上」も興味深い。これは、信長からも起請文を取って、必要な事項については確認することを約束している。
信長と家康の清洲同盟が、最初こそ対等なものだったが、このころには、関係性が変化していたらしい。家康が信長にお伺いを立てながら、政略を進めていたことがわかる。
「長篠の戦い」でも長篠城を任せられた奥平信昌
奥平氏を取り込んで奥三河を奪還すべく、用意周到な動きを見せた家康。その後、天正2年になると、武田勝頼の動きが活発化し、家康は武田勢と10年にわたって、抗争を繰り返すことなる(『「侮れない」家康が長篠で痛感、武田勝頼の驚く軍才」』参照)。
そのクライマックスとなる「長篠の戦い」において、長篠城を任せられたのが、家康の娘婿となった奥平信昌だった。信昌は亀姫との間に、4男1女をもうけるが、それはまだ先の話である。
【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
大石学、小宮山敏和、野口朋隆、佐藤宏之編『家康公伝<1>~<5>現代語訳徳川実紀』(吉川弘文館)
宇野鎭夫訳『松平氏由緒書 : 松平太郎左衛門家口伝』(松平親氏公顕彰会)
平野明夫『三河 松平一族』(新人物往来社)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』(吉川弘文館)
笠谷和比古『徳川家康 われ一人腹を切て、万民を助くべし』(ミネルヴァ書房)
平山優『新説 家康と三方原合戦』 (NHK出版新書)
河合敦『徳川家康と9つの危機』 (PHP新書)
二木謙一『徳川家康』(ちくま新書)
日本史史料研究会監修、平野明夫編『家康研究の最前線』(歴史新書y)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)
佐藤正英『甲陽軍鑑』(ちくま学芸文庫)
平山優『武田氏滅亡』(角川選書)
笹本正治『武田信玄 伝説的英雄像からの脱却』(中公新書)
太田牛一、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
黒田基樹『家康の正妻 築山殿』(平凡社)
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