2浪目の医学部試験中に彼がとった「衝撃の行動」 「格闘技医学」の開拓者、二重作さんに話を聞く

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二重作さんは、父が理学療法士、母が看護師(※その後、看護系講師)の北九州の医療一家に生まれ、物心つく前に”お受験”をして小中一貫校の名門私学・明治学園に入りました。小学生のころは病弱で、魚や恐竜の図鑑を見るのが好きな内向的な子どもだったそうです。

「同級生と比べても足が遅く、球技がまったくできませんでした」

そんな彼が格闘技を始めたのは、運動音痴だった自分へのコンプレックスからだったと言います。小学生から始めた空手に打ち込んだ二重作さんは、その甲斐あって、中学2年生のときには所属連盟の全国少年大会で準優勝をするまで上達しました。

一方で、もともと運動よりも得意であった勉強にも力を入れていました。小学生時代から医師になるという具体的な目標を持てたのも、同級生とのやりとりで悔しい思いをした経験からでした。

「僕の小・中は開業医の子どもが多かったんです。そこで『お前の父さんは理学療法士だけど、俺の父さんは医者だぞ』とバカにされたことがあり、子供心にかなり傷つきましたね。そのとき、僕は『医師になってやる』と思いました。小学生の段階で父親のリベンジマッチが始まっていたんです。経済的には国公立の医学部しか行けなかったので、そこを目標にしました」

国公立医学部への道のりは遠かった

こうして小学校から中学校に上がっても、二重作さんは、中の上〜上の下の成績をキープし続けます。勉強・スポーツに打ち込む中学時代を送った二重作さんは、通っていた明治学園には当時、高等部がなかったこともあり、高校受験の準備を始め、名門校である福岡県立東筑高等学校に進学しました。

この学校の文武両道の校風に大いに刺激を受けた二重作さんは、勉強と空手を両立させる3年間を送り、高校生活を通して450人中で80位程度の成績をキープ。それでも国公立の医学部にはまだまだ遠く、D~C判定でした。

そして、受験学年である3年生のとき、医学部に行く必要性を強く実感する出来事が起きます。所属していた空手流派の高校生日本代表に選ばれ、7月にアメリカに遠征、USAオープン大会に出場することになったのです。

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