結局、この年も前期試験、後期試験で地方の国公立大学医学部を受けるも撃沈。1浪してもどこも受からなかったことを受けて、「あのときくらい自分自身に絶望したことはなかったです。今思えば『本気』じゃなくて『本気のふり』だったんでしょうね」と二重作さんは当時を振り返ります。
現役時よりも成績が下がる、という絶望的な状況から2浪を決断した二重作さん。その決断の理由はやはり、医師になるという夢を諦めることへのためらいでした。
「一度目指したものを諦めてしまうと、きっと一生引きずると思ったんです。今後の人生で病院に行くたびに、医師に会うたびに、夢を諦めたことを思い出すんだろうな、と。それはどうしても嫌でした」
成績が伸びなかったことを受け入れた二重作さんは、落ちた原因を分析しました。その理由として「弱点から逃げたこと」をあげます。
「数学の偏差値が50くらいでした。でも、できないことに向き合わずに2次試験で数学のない大学を受ければいいや、と思って1浪目の1年間はずっと逃げ続けたんです。勉学に対する姿勢が完全に間違っていましたね」
そして1浪目の勉強を「ダラダラやっていた」ことも反省した彼は、目的達成のために思い切った戦略をとります。
「もう逃げない」と決めた2浪目
「予備校の授業を1日中受ける全日コースではなく、単科コースを受講するようにしました。自分にとって必要なことを自ら選びとることによって言い訳できない状況を作ったんです。また、本当に実力を伸ばすために、楽しい授業じゃなくて、厳しいけれど実力がつく授業をピンポイントで選びました。数学に関しては、プライドを捨てていちばん簡単な基礎クラスをはじめ、複数の講座を受講するようにしたんです。『できない』は『触れてない』場合も多いので」
「もう逃げない」そう決めた二重作さんは、時間配分と効率を考えて、苦手科目は講義を受けながら重点的に勉強し、得意科目は自習でどんどん伸ばす戦略を取りました。この浪人生活を過ごせたのも「もう一度、自分を信じたい」という思いがあったからだそうです。
その一方で、この期間も「勉学」と「運動」をセットで行うために空手の道場には通い続けていた二重作さん。このメリハリのついた生活は、集中力を保った状態での学習を可能とし、成績を目ざましく向上させます。模試の成績はB~A判定を取れるようになり3度目のセンター試験に臨みました。
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