糸井重里「僕が不登校について思っていること」 大事なのは「今をどうおもしろがれるか」

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取材のようす(株式会社ほぼ日にて)(撮影:矢部朱希子)

病名がついたら治療法が模索されるのと同じで、名前をつけてしまうと、名前がひとり歩きしてしまう。ただ一時期学校へ行かない、それだけのことじゃないですか。問題でもなんでもないんですよ。そして行きたくなったなら、いつでも学校へ行ったらいい。そう考えると、学校へ行かなかったり、気が向いたら行ったりしている人は、すごくいい時間の使い方をしていますよね。

不登校とは反対の側に学歴の問題があります。いい大学を出たことをすごく大きな価値だと思い込み、威張っている人がいる。これは当然まちがいです。でも、学歴を持っていない人が、学歴を持っている人をあげつらい「東大を出たくせに何もできないじゃないか」と文句を言うのも、まちがっていると思います。両方とも、ほんとはたいしたことじゃないんです。

いろいろなことが本人とは関係のない付属物なんだと思うんです。「学歴」も「不登校」も付属物です。ですから、生きていくなかで自分についてしまった付属物は、もうしょうがないので、そのまましておけばいいんじゃないでしょうか。

――若い人を見ていて、20年前と今とでちがいを感じますか?

うちの会社に入ってくる若い子を見ていると、あまり人を見て対応を変えないんですね。えらい人だからこう接しなきゃとか、立場が下の人だから粗末に扱っていいとか、そういった意識がないように見える。人によって自分を変えず、率直というか、あるがままの自分で仕事をしているんです。これはすごく健康的でいいと思います。

協力に楽しみを

また誰かと争ったり自分だけが勝者になろう、という考えもないように見えます。ツッパッていないというか。仕事も勝ち負けではなく、みんなで協力して何かを実現しようとする。そうしたことに楽しみを見出しているんじゃないでしょうか。

仕事が楽しくない、という人も多いとは思いますが、何か壁にぶち当たっても、「なぜそんなことが起こるのだろう」とか、「どうすればおもしろくなるのだろう」というふうに考えて、自分で問題をつくったり、問題をおもしろがることができれば、たいていの仕事は楽しくなるものです。

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