糸井重里「僕が不登校について思っていること」 大事なのは「今をどうおもしろがれるか」
「へえ、そうなんだ」でおしまい
――まずは、今回なぜインタビューを受けてくださったのか聞かせていただけますか。
とても懐かしかったんですよね。「不登校新聞、まだあったんだ」と思いました。
以前インタビューに来てくれたときから約20年。それだけ経てば、団体がなくなっていてもまったくおかしくないわけです。でもまだ続いているというのは、続いているだけの理由があったのだろうと思うし、続かせてきた人たちが、たくさん苦労したりがんばったりしてきたからこそなのだろうと思います。そうした道筋に興味があったので、インタビューをお受けしたんです。
――22年前に取材させていただいた際、遅刻してしまったにもかかわらず、不登校の子どもたちに「来てくれてありがとう」、「不登校を楽しんで」と言ってくださいました。今あらためて、不登校についてどのように思いますか。
本当のことを言いますね。なんとも思っていないんです。本人や親や教員にとってはすごく重たい問題なのだと思うのですが、じつは第三者はそんなに大きな問題だとは思っていない。正直にそう言ったほうがいい気がします。知り合いの息子さんが学校へ行っていない、というような話はよく聞きます。でも「へえ、そうなんだ」でおしまいです。他人にとっては、そんなものなんですよ。
ただ、「不登校」という名前には違和感がありますね。別の名前がいいというわけでもなくて、そもそも名前なんてつけなくていいんじゃないか、と。