浪人という選択を取る人が20年前と比べて2分の1になっている現在。「浪人してでも、志望する大学に行きたい」という人が減っている一方で、浪人生活を経験したことで、人生が変わった人もいます。自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した濱井正吾さんが、さまざまな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったこと・頑張れた理由などを追求していきます。今回は親族に大卒がいない母子家庭に生まれ、震災を経て1浪して一橋大学に進学。五大商社、NPO法人の勤務を経て27歳で再受験を決断し、2浪で千葉大学医学部に合格した亮大さんにお話を伺いました。
みなさんは自分の境遇を嘆いたことがありますか。
きっと大勢の人が他人と比較して自分の環境を嘆いたり、自分の過去の行動について後悔したことがあると思います。
今回話をお聞きした亮大さんは宮城県仙台市の出身。早くに両親が離婚した家庭で生まれ育ち、経済的な理由で予備校に通えないまま受験勉強を続けました。さらに高校3年生のときには、東日本大震災の影響で出願した試験が受けられず、自然災害によって浪人が確定したのです。
それでも彼は、自分の人生を前向きに捉えて「まったく後悔はない」と力強く言います。
生まれ育った環境や自然災害などの不遇が続く中で、なぜ彼は浪人を決断したのでしょうか。そして浪人が、彼の人生にどのような影響をもたらしたのでしょうか。苦難と挑戦の連続だった彼の人生に迫っていきます。
親族に大卒者のいない母子家庭で育つ
パチンコの釘師の父親とスナックの従業員であった母親の元に次男として生まれた亮大さん。小さいときから苦労が絶えなかったようです。
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