稲盛和夫さんも間違いなくその最高峰の一人で、ベンチャースピリットにあふれる傑出した経営者でした。とりわけ一緒に仕事をするようになって、私がしばしば驚かされたのは、そのみずみずしい経営感覚でした。
たとえば、コスト感覚一つをとっても、スーパーマーケットで売られている商品の値段などをよくご存じで、いま卵はいくらくらい、鯖の缶詰はいくらくらいと細部にいたるまで精通しておられました。
消費の現場の実状をよくわきまえたうえでのコスト感覚。そういうものに人一倍すぐれていらしたのです。
当時の電話料金は10円、20円といった細かい単位で決められていましたから、それをいくらに設定するかは企業の収益のよしあしを左右するだけでなく、会社の盛衰にまで関わってくるきわめて重要な問題でした。
というのは、第二電電のような新興の通信会社は、安い電話料金を設定しないとそもそも最大手の電電公社に対抗できないが、さりとて、あまり安くしすぎると今度は会社の経営自体がもたなくなるというジレンマにさらされてしまいます。
だから、料金をどれくらいの水準に設定するか、その細かい目盛りの加減がそのまま会社の命運を握っているといっても過言ではないのです。
「値決めが経営」の神髄
でも、稲盛さんの卓越したコスト感覚は、この問題をいつも的確にクリアしてきました。「値決めが経営」というご自身の言葉どおり、つねに最適解に近い価格、料金を導き出すのです。
むろんそれは、現場を知り尽くしたシャープなコスト感覚に支えられたもので、その点では、稲盛さんは実に「先の見える」人でした。その先見性にもやはり際立ったものがあったのです。
のちに、私たちの会社がDDIとして携帯電話も手がけるようになったとき、稲盛さんがその契約料はいくらで、月ごとの基本料金はいくら、通話料はおよそこの程度といった具合に料金内容の細部まで事前に「予見」し、それが実際の金額とほとんど変わらなかったという話は有名ですが、私も同じとき、稲盛さんのある〝予言の言葉〟をこの耳で聞いています。
第二電電の市外電話サービスが軌道に乗って、事業が急成長し、次は新たに携帯電話事業に乗り出そうとしたときのことです。
当時、専務の職にあった私は、それまでの固定電話事業と新しく始める携帯電話事業の割合を、そのとき成功していた固定が七、これから新規スタートする携帯を三くらいにとらえていました。