名経営者の一言で決まった「泥臭い」社名
ちなみに第二電電の設立には、ソニーの盛田昭夫さん、ウシオ電機の牛尾治朗さん、セコムの飯田亮さんなどの協力も仰いでいます。
巨大な電電公社に対抗するのに、第二電電をバックアップするのが京セラ一社では心もとないことから、こうしたベンチャー精神にあふれた、活きのいい経営者の方々にも加わってもらおうという稲盛さんの深謀遠慮からでした。
このなかでは年長の盛田さんが兄貴分でしたが、その盛田さんもまた、いうまでもなくすぐれた先見力の持ち主でした。
最初の頃の役員会の席上だったと記憶しますが、第二電電の事業の実務面は私にまかされていましたから、私は事業の目的や内容、戦略や方向性などを考案し、それを記したコンセプトペーパーを用意して会議に臨みました。
その冒頭、兄貴分の盛田さんがこんな提案をしたのです。
「ここにはいずれも一騎当千のサムライがそろったが、みんな一家言あって、うるさい連中だから、あれやこれや口出ししてはかえって経営はうまくいかない。船頭多くして船山に上るということわざもある。そうならないためには、経営の主導権は稲盛くんに一任して、われわれは応援部隊にまわろう。金は出すが口は出さない、これが原則だ」
これには他の方々も賛意を示して、経営については稲盛さんに、実際の事業プランニングや推進については私にまかせるという合意が得られました。この寛容な提言に、私は内心で感謝しました。
ところが、私が用意したコンセプトペーパーに従って事業プランをプレゼンテーションし、会議がかなり進んだ頃になって、ある問題に関して、当の盛田さんがさっそく異議を唱えたのです。
それは「第二電電」という新会社の社名についてでした。