「博士」がオムロン変革の旗手になったワケ 小澤尚志×瀧本哲史「大企業に巨大な可能性」

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小澤尚志(おざわ なおし)●京都大学大学院工学研究科を修了後、民間企業研究員、京都大学教員(助教)を経て、2003 年オムロン入社。電子部品事業を担当し新規事業向け要素技術開発や技術戦略策定などを行う。2011年グローバル戦略本部経営戦略部でM&A、新規事業開発などを担当。2014年7月にオムロンベンチャーズ社長に就任

瀧本:京大で研究者を続けようとは思わなかったんですか。

小澤:アカデミアの研究者という立場でいると、自分が研究していることが、何に生かされるのか、というところにどうしても興味がいく。実験をして、研究をして、論文書いて、その先はなんだろう、と考えるのが普通です。研究と実用にはギャップがあり、そこが大きなストレスだったので、民間企業に転職しました。

ただし、もともと私は京大の修士を出たあとに1回、民間企業に勤めています。5年ぐらい民間企業に勤めており、そうした経験もあったので、どうも自分の質(たち)は、研究者というよりは民間企業で世の中に立つようなことをしたい、ということだったと気づくわけです。それでまた民間企業に戻ってきました。

徐々にマーケット側に興味が湧いた

瀧本:オムロンでは、材料エンジニアとして仕事をされて、2011年には経営企画に移っています。この経歴は珍しいですね。

小澤:ただ、いきなり移ったわけではないのです。オムロンの中では材料系エンジニアは、ど真ん中ではない。最終製品であるところの電子部品を作るための材料開発をやっていたわけですから。もちろん、新製品のために必要な材料設計をやるんですが、だんだん製品のど真ん中をやりたくなってきた。

瀧本:よりマーケット側のことをやりたいと思ったわけですね。

小澤:そうです。ちょうど私が開発を担当した材料を使用する製品側も、新規事業だったんです。オムロンは2000年代に電子部品系の事業でいくつかの新規事業にチャレンジしていた。自分の開発している材料についても、かなりいいものができて製品も素晴らしいものだった。でも、そんなに売れない。当たり前のことですが、どんなにいいものを作ってもマーケット側のニーズとかみ合わないと売れないわけです。材料エンジニアとしての仕事をやりきったところで売れないものは売れないということが身に染みてわかったんです。

小澤さんはなぜマーケット側に?

瀧本:研究よりももっとマーケットに近いと思って材料エンジニアになったのに、実はそれでも、まだマーケットから遠かった。

小澤:悔しかったので「いったいどうしたら売れるのか」という方に興味が移っていきました。材料開発の部隊に籍は置きつつ、半分は技術企画、商品企画といった、マーケティングもできるような仕事もやらせてもらった。そして、だんだんとキャリアをそちらのほうに移していきました。

2010年ぐらいまではそういう仕事やっていました。しかし、どうもエンジニアをやりながら、マーケティングもやりながら、企画もやりながら、というのは中途半端だった。そこで、そのときの上司に相談し、経営戦略に移りました。

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