野球界の「縦割り」を打破する大会ができたワケ 「薩摩おいどんカップ」はいったい何がすごいのか

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「別に勝敗表を作って順位を決めようとか、そういうことは考えていません。スケジュールが合ったチーム同士が鹿児島に来て、野球の試合をしていただく。それだけです」

大会実行委員長の小薗健一氏(写真:筆者撮影)

こう語るのは大会実行委員長の小薗健一氏だ。小薗氏は実業家の傍ら、鹿児島県立枕崎高校の野球部監督を長年務め、野球の普及活動に尽力してきた。

「この話が持ち上がったのは3年ほど前ですね。鹿児島でキャンプを張っている大学野球の監督さんの間で『みんなで交流戦やったらいいんじゃないか』という話が上がって、去年の夏に具体化して、記者会見をしたわけです。

大会のアンバサダーは鹿児島県姶良市出身の川﨑宗則さん(元ソフトバンク、大リーグ、現栃木ゴールデンブレーブス)がお引き受けくださいました。当初は20チームを超えればいいほうじゃないかと言っていたのですが、36チーム。まさかこんなに増えるとは思っていませんでした。みなさん試合する機会を求めていたんですね」

清原和博氏の長男も試合に出場

慶應義塾大の清原正吾(写真:筆者撮影)

試合は鹿児島県内の4市(鹿児島市、薩摩川内市、日置市、姶良市)の5球場で行われた。筆者はこのうち4球場を回ったが、施設が古い球場もあったものの、どこも整備が行き届いていた。また試合では場内アナウンスも行われ、本格的な試合だった。

メイン会場となった鹿児島市の平和リース球場(鹿児島県立鴨池野球場)は、昭和の時代は巨人が公式戦を行っていたが、桜島の噴煙を背景に、鹿児島独特の黒土と緑の芝のコントラストがまことに美しかった。筆者が見たときは慶應義塾大と亜細亜大の試合中で、清原和博氏の長男の清原正吾(慶大2年)が打席に立つと大きな拍手が起こっていた。

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