この経験が「薩摩おいどんカップ」につながる。
「同じような大会を今度は鹿児島県でやろうと思ったのです。この時期、大学も社会人も温暖な九州や沖縄で合宿をしていて、練習試合の機会を求めています。でも宮崎や沖縄ではプロ野球が主要な球場を押さえているので、なかなか実戦の機会がない。だったら鹿児島県でやったらどうか。
そこで大学や社会人のチームに声をかけて昨年8月に記者会見を行ったのですが、まさか36チームも集まるとは思っていなかった。でも、それだけみんな試合をする機会を探していたんですね。
この大会のルールを決めるときに僕が言ったのは『来て、試合をして楽しかったね』ではダメだということです。来たチームにはお金を落とさせましょう。だから原則として宿泊しないチームには参加させません、ということです。これをルールに盛り込みました。鹿児島県内のホテルに泊まって、天文館(鹿児島市内の繁華街)で食事をしてください。そのかわり球場も試合をする環境もしっかり整えます、と」
野球会の縦割りを崩す試み
こうした構想を描いて、それを実現できるのは、生田勉監督が、東都大学野球、大学球界屈指の名将であるうえに、プロ野球に松田宣浩(巨人)、宮﨑祐樹、山﨑康晃(DeNA)、東浜巨、嶺井博希(ソフトバンク)、九里亜蓮、薮田和樹(広島)、藤岡裕大(ロッテ)、木浪聖也(阪神)など主力級の選手を数多く送り込んでいるからだ。それだけでなく社会人野球にも亜細亜大野球部出身者は数多い。
圧倒的な実績を背景に、交流戦の実現に剛腕を振るったのだ。逆の見方をすれば、プロアマ、カテゴリーごとの縦割りが根強く残る野球界を変えていくには、これくらいの剛腕が必要だということだ。
生田監督は亜細亜大学を応援してくれる地元の人々や関係者に「ASIA 2023 SPRING CAMP IN KAGOSHIMA」と記されたオリジナルキャップを配った。この帽子をかぶったファンも球場に駆け付けた。人々を巻き込む術を知った指揮官だといえよう。
1年目の運営には、アマチュアの規定があるために入場料をとることができないなど、いろいろな課題も残った。
小薗氏は話す。
「鹿児島でも少年野球人口が平均以上に減少しているのを実感しています。大会会期中には、少年野球教室も開催しました。一定の経済効果もありましたし、ここから変えていかないとと思います。生田監督とも話すのですが、選手にとって障壁となるような壁は崩していかなければならないと思います。野球の未来のために、野球界のみんなが手を携えていかないと。鹿児島からのチャレンジをこれからも続けます」
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