東大生の親が「不合格だったわが子」にかけた一言 受験不合格は「失敗」ではなく「挑戦の勲章」だ

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不合格になっているということは、「挑戦した」ということにほかなりません。偏差値的に絶対に合格できるところで不合格になった場合はともかく、ほとんどの場合は「受かるか落ちるかわからないところを目指した結果、運悪く、不合格になってしまった」というだけです。

「不合格」は、自分の行けるところではなく、行きたい道を模索して頑張った「挑戦の勲章」です。

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人間は挑戦していれば成長できます。たとえ結果として行きたい中学・高校・大学に行けなかったとしても、その過程で、必ず成長することができているのです。それなのに、ただ「失敗だった」と子ども自身が感じてしまうのは、あまりにももったいないです。

「不合格」という結果を「失敗だ」ととらえてしまうと、「負け癖」がついてしまいます。「どうせ自分なんて無理だ」と、次の挑戦を避けるようになってしまうかもしれません。そうなってしまっては、挑戦することのない、安全な道だけを模索する人生になってしまいます。

親御さんにお願いしたいのは、「不合格」で子どもが腐らないようにしてあげることです。子どもが次の挑戦を見据えられるように、前を向けるように、頑張った過程を褒めてあげるようにしましょう。「惜しかったね」ではなく、「よく頑張ったね」と褒めてあげるようにするのです。

「不合格」を経験した東大生に親が言った言葉

中学受験で第一志望に受からなかったという場合でも、直前期に成績が伸びたことを褒めてくれたと語る東大生がいました。「結果は不合格だったけれど、これだけ成績伸びたのはすごいよ!」と。

また、「こんなに何か1つのことを極めたのって、初めてなんじゃない?」と言って、結果ではなく努力のほうを褒めてもらったと語っている東大生もいました。

僕も自分のことを思い返すと、浪人中、母親がこんなふうに言っていたのが、なんだかすごく嬉しかった思い出があります。

「あんた本当、よくやるわね。私はやったことないけれど、受験ってすっごい大変なことで、こんな大変なことを何回もやっているんだから、きっといつか、いいことあるわよ」と。

これらのように、受験の中で何か、褒めるポイントを見つけてあげるというのは大きな意味があると言えます。

受験を、「不合格だった」という失敗の体験にするのではなく、「頑張った」という成功体験にできれば、きっとそれは「失敗」にはならないのです。

次ページそれでも「失敗だ」と思わずにいられない場合は…
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