小倉優子氏「受験の411日」支えた東大生との約束 指導者が求め続けた「ある条件」が本質的だった
もっと言えば、子どもが指示に従わなかったとしても、指示の仕方が悪いのであって、生意気ですが「従わせられなかった親が悪い」と感じてしまうわけです。
そしてその場合、もし結果が出なかったら、子どもは親の責任にできてしまいます。成績が悪くても、「親が言った通りにやっただけ」だから、自分に跳ね返ってこないのです。
だから僕は、成績が悪くても「自分のこと」としてあまり捉えていなかったわけです。
その認識が、母親から「さあ?」と言われたときに、崩れました。
「ああ、これで次のテストで悪い点を取ったら、自分の責任じゃないか」と。「親の人生じゃなくて、自分の人生なんだ」とわかったときに、急に恐ろしくなったわけです。
いい意味で「無関心を貫く」べき
受験で成功する子の特徴として、親や指導者が、しっかりといい意味での「無関心」を貫いていたというものが挙げられます。
受験する学校を選ぶときにも、「自分の受験なんだから、自分で決めなさい」と言っていたり。勉強の内容について考えるときも、「自分の勉強なんだから、自分がいちばんよくわかっているはず。自分で何をどう勉強するか決めなさい」と言っていたり。
もちろん、できる準備は全部してあげるべきです。どんな学校がいいのかを判断する情報を集めたりとか、勉強の中身を決めるときのデータや参考書や教材を用意してあげるとか、そういったことは全部してあげるべきです。しかし、それを活用するのは「自分」であるべきなのです。
東大生は、塾や学校の指導がいいから東大に合格しているというわけではありません。
その子が、塾や学校をうまく活用できたから、東大に合格しているのです。
僕の友達の東大生は、「学校はサブスクリプションだ」と言っていました。意味を聞くと、「いくらでも質問し放題、勉強を教えてくれ放題の先生がいて、それを活用してもいいし、活用しなくてもいい。同じ金額を学校に納めた上で、活用する人と活用しない人がいる。活用する時期もあれば活用しない時期もある。ほら、サブスクと同じじゃん?」と。
これが正しいかどうかはわかりませんが、その考え方があったからか、彼の高校は東大合格者がほとんどいない学校であるにもかかわらず、先生にうまくサポートしてもらって、東大に合格していました。
だから僕たちは、小倉優子さんに冒頭のようなメッセージを伝えていたのです。これは別に、小倉優子さんだから言ったのではなく、僕たちが指導している人には全員、同じことを言っています。
そして、それこそサブスクだと思って、周りの大人たちや学校・指導者や親をうまく活用できる人が、合格しているのです。
いかがでしょうか? 親御さんたちは、子どもたちを「従わせる」のではなく、逆に子どもたちにうまく「使ってもらう」ほうがいいのかもしれません。子どもの人生なのですから、子どもがうまく周りの大人を扱えるようにサポートしてあげる。そういう接し方が大事だと思うのです。
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