「徳川家康」信玄を翻弄し信長を狼狽させた強心臓 北条氏康を味方につけて武田信玄を追い込む

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NHK大河ドラマ「どうする家康」
阿部寛さん演じる武田信玄と家康はどう渡り合っていくのか(画像:NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト)

しかし信玄は、この状況下でも実力を発揮しました。

まず翌年の7月に駿河の重要拠点だった大宮城を攻め落とすと、北条の領地である小田原に侵攻。北条が本国に撤兵すると、11月には駿河に攻め入ります。そして難攻不落と名高い蒲原城を攻め落とし、ついには氏真の退去後も今川館を守っていた岡部正綱を降伏させ、駿河を手中に収めました。

信玄にとっては、嫡男を死に追いやってまで望んだ駿河侵攻を成功させたのです。

信玄のやり口にキレた家康

一方の家康ですが、このとき26歳。家康は三河を手中に収め、三河一向一揆の危機を乗り越えて、今川領である遠江簒奪の野心を抱いていました。尾張の織田信長は1565年に婚姻関係を通じ信玄と同盟を結んでいましたが、家康は今川領を巡って利害関係があるため信玄とは同盟を結んでいませんでした。信玄が駿河侵攻をスムーズに進めるには三河の家康と手を結ぶのが得策と考え、駿河侵攻直前に同盟を呼びかけ、これを成立させます。

このときの細かい取り決めをした約定書のようなものは見つかっていないため、定かではありませんが、のちに起こったことを鑑みれば、今川領に関するお互いの取り分について合意がなされたものと思われます。

しかし前述したとおり秋山虎繁が遠江に侵攻したことで、この同盟はこじれます。家康は信玄に抗議しました。

意外なことに信玄は、この抗議を受け入れて謝罪し、秋山をすぐに遠江から撤退させています。家康は改めて信玄に誓詞を送り、信玄は血判状を家康へ送っています。

ところが家康は、さらに信玄に苦情を申し立てます。武田方が勝手に今川方と人質交換を行ったことは盟約違反だと申し立て、同盟の際に送った重臣酒井忠次の娘を武田側から引きあげさせます。おそらく、この頃には家康の方針変更があったのでしょう。家康はなんの断りもなく突然、掛川城にいた今川氏真と和睦を行い、さらには氏真を通じて北条との同盟を締結しました。

次ページ信玄を出し抜き、信長を慌てさせる
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