「野球離れ」が叫ばれて久しい。筆者はこの問題を追いかけてきたが、そのときによく聞いたのが「私は野球ファンではないので、野球人気が衰えても別に構わない」「小さい頃、夜のテレビは野球しかなかったので、野球が嫌いになった。少しは衰えたほうがちょうどいいのではないか」などという意見だ。
野球関係者は「野球は日本のナショナルパスタイムだ。衰えたらみんな困るだろ?」と思っているが、そうではない。今や世の中は「アンチ野球」の人であふれているのだ。「野球のため」という言葉は説得力がない。
Jリーグは「野球を反面教師にした」
7年ほど前に筆者はJリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏に話を聞いたが、川淵氏はJリーグを創設するにあたり「野球を反面教師にした」と語った。いろんな意味があったと思うが、1996年シーズン前につくられた「Jリーグ百年構想」は、
・あなたの町に、緑の芝生におおわれた広場やスポーツ施設をつくること。
・サッカーに限らず、あなたがやりたい競技を楽しめるスポーツクラブをつくること。
・「観る」「する」「参加する」。スポーツを通して世代を超えた触れ合いの輪を広げること。
というものだ。この短い文章はJリーグ、日本サッカーの「憲法」のようなものだが「サッカーのために」という言葉はどこにもない。
「サッカーに限らず」スポーツを振興し、人々を幸せにしたい、という理念が語られている。まず社会全体に貢献し、そのうえでサッカーの存在を容認してもらう。日本サッカーはそういう優先順位で発展を遂げてきたのだ。
コロナ禍以降、子供たちは運動、スポーツの機会を与えられず、危機的な状況にある。今は社会全体が、子供の未来のために手を差し伸べるときなのだ。早稲田大学野球部OB会が「野球は主語じゃない」と方針転換をしたのは、まさに時宜にかなっている。日本の野球界がこの動きに続くことを期待したい。
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