1996年限りで現役を引退した石毛宏典氏、福岡ダイエーホークスは、いずれ指導者に、という構想を持っていたので、幹部候補生として遇するつもりだった。しかし石毛氏の考えは違った。「『黄金時代の西武』まとめた石毛宏典氏の驚く半生」に続いて、石毛氏の半生について聞いた。
ロサンゼルス・ドジャースに派遣された石毛氏
現役時代から「アメリカのベースボールを知らずに日本の野球は語れないな」と思っていたので、まずはアメリカに行こうと思った。それも1カ月、2カ月じゃなしにずっと1年くらい向こうに行って、アメリカのベースボールを見たいと思ったんですよ。
そこでパンチョ伊東さん(伊藤一雄:MLB解説者)とともに「アメリカ珍道中」をしようと考えていたんですが、それを根本さんに言うと、それはまかりならん、ホークスと契約して行けと言われた。パンチョさんは同行できなくなって、私1人で「コーチ留学」という形でアメリカに行くことになった。
――ロサンゼルス・ドジャースに派遣された石毛氏は、アメリカ野球のさまざまなシーンをつぶさに見ることになる。
ドジャースの春季キャンプ地であるベロビーチでスプリングトレーニングに参加し、3月下旬にペナントレースが開幕すると2カ月間メジャーに帯同して、それからAAA、AA、Aとマイナーリーグを見て、マイナーリーグが8月に終わるとメジャーに帰ってきて終盤からポストシーズンを見て、11月になるとドミニカ共和国のウィンターリーグも見た。メジャーのユニフォームも着て、練習も一緒にやった。マイナーでも練習で指導をし、ゲームではベンチにも入った。
私は「メジャーのコーチはすばらしい指導をしていると聞いてきた、それを見せてください」と言ったのですが、コーチは「イシゲ、それは何年前の話だ。今はメジャーリーガーの給料も高くなっている。無理に練習をさせて故障でもさせたら訴訟問題など、大変なことになる。われわれはベビーシッターみたいなもんだ」と言われた。選手のご機嫌取りだというんですね。今の日本もそれに近い状態になっているかもしれないけど「指導」という点では、がっかりしました。広岡さんのような指導者はいなかったんですね。
――石毛氏は日米の指導者像の違いにショックを受け、しだいに両者を冷静に見つめるようになる。
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