「黄金時代の西武」まとめた石毛宏典氏の驚く半生 東尾・田淵、工藤・清原など個性が強い顔ぶれ

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石毛宏典氏(写真:筆者撮影)

石毛宏典氏は、黄金期の西武ライオンズのチームリーダーとしてチームを牽引。「ミスターレオ」と呼ばれ新人王、日本シリーズMVP1回、ベストナイン8回、ゴールデングラブ賞10回、通算1833安打を記録した。引退後は指導者としても活躍、2005年には日本初の独立リーグである四国アイランドリーグも創設した。66歳になる今も精悍な表情の石毛氏に、選手、そして指導者、実業家としての半生について聞いた。

野球は高校でやめて就職する気でいた

千葉県銚子市の隣町の旭市の出身です。農家の次男坊で11人の大家族でした。野球とのかかわりは10歳くらい、でも毎日野球をしたわけじゃなく、小学校4~6年は短距離や走り幅跳びで、周辺の町ではトップレベルでした。

中学でも陸上部の活動を見学しました。要は家に帰りたくなかったんです。当時の農家は今みたいに機械式じゃなくて手作業です。帰ったら手伝わされる。それが嫌で部活を始めたようなもので(笑)。結局、野球部に入りましたが、当時は練習が終わったらぶん殴られるような毎日で、中学終わったら野球も卒業しようと思ったんですが、一応キャプテンをしていた。中学の担任が野球部の監督で市立銚子高校野球部の監督と親しくて「高校は市立銚子に行け」と言われて、私の意志とか考えとか全く通らなくて、行くことが決まったんです。

――気が進まなかった高校進学ではあったが、銚子市立銚子高校では1番・遊撃手として頭角を現す。

市立銚子は進学校で、普通科に入ってしまうと受験勉強のために野球ができなくなるから、工業化学科に入った。だんだん部員も増えて、それなりの選手が来るようになって、3年夏の甲子園予選千葉県大会では決勝に進出した。でも決勝でこの年全国優勝した銚子商に負けて甲子園には行けなかった。

私は、野球は高校でやめて就職する気でいました。2年生の時には東京の大日本印刷や武田薬品工業の工場見学もしています。ただ、私のプレースタイルを見てくださった方が駒澤大学の太田誠監督の知り合いで、駒澤大学に誘われました。

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