「黄金時代の西武」まとめた石毛宏典氏の驚く半生 東尾・田淵、工藤・清原など個性が強い顔ぶれ

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ドラフトでは上田利治監督の阪急ブレーブスと根本陸夫監督の西武ライオンズが私を指名した。くじ引きで西武に決まったのですが、もし阪急だったら断っていた。プロに行かなかったら、私はプリンスホテルの社長をやっていたんじゃないかと思います(笑)。同期で野球部だった仲間がマネージャーを経て出世して社長になっていますから。

広岡達朗に初めて会ったとき言われたこと

――プロ入りまでの半生を見ていくと「甲子園、プロへのあこがれ」で野球を始めた多くの野球少年とは異質であることがわかる。たまたま野球の才能に恵まれた石毛少年は、周囲の期待や要望に従う形で野球界に入った。しかしつねに冷静に自己を評価していた。また上下関係など人間関係が濃密な野球界のしがらみからとは一歩離れたスタンスだった。明晰な話しぶりは「テクノクラート(技術者)」を思わせる。その資質が西武ライオンズで花開く。

入団当時の監督の根本陸夫さんは一人前のプロである以上、自覚を持ってやりなさいという方針で門限も細かいルールもなかった。そして新人王になったのですが、次に来られた広岡達朗監督は、門限や食事指導があった。プロ野球選手はお客様からお金をもらってるんだから、レギュラーの人間はいつなんどきでもゲームに出る使命がある、だから自己管理が必要だと。

広岡さんに初めて会ったときに開口一番「よくそんなので新人王とれたな、へたくそが」みたいなことを言われた。そして「お前のは自己流だ。若くて筋力があるうちはそれでいいが、30歳過ぎたらできなくなる。将来、指導者にもなれんぞ」と。

「このやろう」と思って、反抗するような態度を見せたものですから、少し避けられてしまった。でも広岡さんの指導で、ライバルの内野陣の流れが滑らかになって、うまくなったような気がしたんです。そこで私のほうから頭を下げて、教えてくださいと言いに行った。それからずっとファンダメンタルな練習をすることになった。

結局、私だけじゃなく辻(発彦)や秋山(幸二)など、技術面は「いろはのい」から指導を受けた。そしてチーム力を上げていったんですね。

次ページ秋山幸二、工藤公康、清原和博などがいるチームをまとめた
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