「黄金時代の西武」まとめた石毛宏典氏の驚く半生 東尾・田淵、工藤・清原など個性が強い顔ぶれ

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農家の次男坊が大学行くなんてと思った。兄貴も大学に行っていませんから。それはあり得ないだろうなと思ったけれど、両親も何とかわかってくれて大学に進んだ。

1993年に東京ドームでソロホームランを打つ石毛氏(写真:時事)

私自身はその時点でも野球がうまいなんて思ったこともなかった。実は高卒の時点でもロッテから6位で指名されたのですが、評価がまったく理解できなくてお断りしました。

大学に行くのなら、教員の資格を取って将来母校の野球部の監督になろうと思ったんですが、大学2年、3年と日米大学野球のメンバーに選ばれて海外に行ったりもした。それでもプロにとは全然思わなかった。でも野球中心の生活になってしまったので、先生になることは諦めました。

4年の時に太田監督に社会人野球を紹介してくださいと言って、プリンスホテルを紹介してもらった。社会人野球に進んだのも「就職」という感覚でした。

社会人を代表する選手になっても高くない「自己評価」

――石毛氏は社会人でもインターコンチネンタルカップやアマチュア野球世界選手権の日本代表にも選ばれる。またプリンスホテルは創部2年目で、都市対抗に初出場を果たす。社会人を代表する選手になったが、石毛氏の「自己評価」は高くなかった。

野球がうまいと思ったことはないですね。その頃は日本鋼管の前川善裕さんとか神戸製鋼の小林貢さんなど、社会人のスター選手がたくさんいました。だからドラフト候補と騒がれても、自分ではそれほどすごいとは思っていなかった。

でも日本代表になって東海大学の原辰徳がサード、私がショートで話題になると千葉の実家がその気になった。そのころうちは農家で金がなくて苦労していた。大学にも行かせてもらったし、契約金貰えるならそれでちょっと恩返ししようか、とプロ入りすることにした。

プリンスホテルと同じ西武グループに西武ライオンズがあるから、そこから指名されたら行ってもいいけど、くらいに思っていた。でも事前にライオンズと下交渉をしたわけではありません。

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