66歳の石毛宏典氏が失敗を包み隠さず明かすワケ 野球振興だけでなく「スポーツの夢」を追い続ける

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――二軍の改革と充実を訴えた石毛氏だったが、時期尚早だった。1998年、ダイエー二軍監督としての成績は、100試合44勝49敗7分、勝率.473で3位。石毛氏退任後、ホークスは史上初の三軍制を敷くのだ。退任後は解説者になるが、脳裏に「独立リーグ」の構想を描くようになっていった。

1999年から、スポーツニッポンとNHKの解説者になりましたが、2000年にもう一度アメリカに行きマイナーリーグと独立リーグを中心に見た。ここに日本の若者がたくさん来ていた。彼らを日本で受け止めるものがあればいいと思ってそのころから独立リーグの構想を温めていた。

その矢先の2001年9月11日、ニューヨークで同時多発テロが起こった。そのタイミングでオリックス・ブルーウェーブの球団社長から監督就任の話があった。この先何があるかわからないから、まずやりたいことをやろうと思って要請を受けたんですね。

オリックス監督を解任され、独立リーグ設立へ

――しかし、オリックス監督としてチームを3年計画で立て直すという契約だったが、2年目の4月に解任された。

イチローと田口壮が抜けて、アリアスや加藤伸一もいなくなって、戦力がダウンしたチーム体制だったのですが……。3年契約のはずが1年4カ月で解任されたから、1年8カ月分の給料が残った。これを原資に独立リーグの会社を設立しようと動き出した。当初は東北6県を考えていましたが、移動距離も広いし、いきなりは難しいかと思って四国4県4チームで行こうと思った。

2005年に発表された四国アイランドリーグ(写真:時事)

私の人脈の中で、四国選出の国会議員にご相談をして四国経済連合会にお引き合わせいただいた。四国の知事や市長にも会いに行って自治体も応援していただく体制ができた。スポンサーは四国コカ・コーラボトリングさんや太陽石油さん、四国明治乳業社さんが賛同してくれた。

4球団をいきなり独立させるのは難しいと思って、4球団を統括するIBLJという会社を設立して、ここに4県をぶら下げた。ゆくゆくは分社化も考えていた。4球団の合同セレクションには広岡達朗さんや藤田元司さんなどプロ野球OBの方に見ていただいた。頑張れ、応援するぞとも言っていただき、バタバタだったけども、四国アイランドリーグの設立にこぎつけた。

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