イヤな言い方だと、私は、子供の頃から、ずっとそう思っていた。
そんなふうに自分で卑下してみせるような学歴なら、いちいち会う人会う人に強調しなくても良さそうなものじゃないか。
そんな父が、一度だけ、かなり自慢たらしい話をしたことがある。
で、それが私の学歴だというわけだ。
イヤな話だ。
父は、その時、酔っ払って誰かに電話をしていた。
「いやあ、下の息子が、ワセダになんか入りやがって」
と父は言った。
私は、穴があったら入りたかった。その、不器用な話題の切り出し方もさることながら、だらしなく上ずった声のトーンがたまらなかった。普段、自慢をしない人が自慢をすると、こういうことになる。さりげなく自慢をするということができないのだ。
聞かされた相手はどう思っただろう。
「いやあ、あの野郎、いつの間に勉強してやがったんだか」
と父がこたえていたところをみると、先方は、通り一遍のお世辞(そりゃあ、すごいや。ワセダっていえば難関じゃないか、とかなんとか)を返してくれていたのであろうが、内心では、臆面もない自慢話に辟易(へきえき)していたかもしれない。
父は黙っていられなかった
私は、辟易していた。
そんなこと、こっちから言うことじゃないだろ? 黙ってればいいじゃないか。
しかし、父は黙っていられなかったのだ。
まったく。
私にはわかっていた。父は、くやしかったのだ。父は、長い間、自分が高等小学校卒であることについて、いつもいつも、釈然としない思いを抱いてきたに違いないのだ。
父が子供だった時代、学歴は、何より、その家の経済事情に依存していた。
貧しい筆職人の家に生まれ、幼くして母親を亡くした次男坊である父にとって、高校はもとより、大学に進むことなど、はなっから望むべくもない別世界の出来事だった。
であるから、自分よりデキの悪い同級生が、高校や大学に進むのを横目で見ながら、15歳で小僧に出された時以来、父の中で、学歴に対する気持ちは、どこかしら鬱屈(うっくつ)を含んだものになっていったのだと思う。
だからこそ、息子が一流大学に合格した時には、五十年の禁を破って、自慢たらたらの電話をかけずにはおれなかったのだ。
……ここまでで終われば、あるいは、これは「いい話」ということになるかもしれない。事情はどうあれ父は喜んだわけなのだし、私は私で親孝行をしたことにはなるわけなのだから。事実、私は、自慢話をする父の様子を見ながら、肩の荷が降りたような感じを抱いていた。