「一生懸命」は「一所懸命」が正しい表現だった
言葉は生き物です。生きているのだから変化するのは当然のことで、今まで「間違っている」とされてきた使い方が、一般に広く認識されるようになり、のちに「正しい」と認められることも、よくあることです。
例えば「一生懸命」という言葉。もともとは「一所懸命(いっしょけんめい)」が正しい表現でした。でも今では「一生懸命(いっしょうけんめい)」も正しいとされています。むしろ今ではこちらのほうが、馴染みがあるかもしれませんね。
敬語も、もちろん生きています。以前は「間違い」とされていた使い方が、やがて認められて「その言い方でもOK」と認められる例は少なくありません。
「とんでもございません」も、その一例です。
「とんでもない」という、謙遜する言葉を丁寧に表現すると「とんでもございません」になる、と思っている人はきっと多いのではないでしょうか。しかし長年、「とんでもございません」は正しくない丁寧語の代表格。マナー講師などが格好の悪例として、新入社員研修やマナー研修などで槍玉に上げる言葉の代表格でした。
なぜ、長年「とんでもございません」が正しくないとされてきたのでしょうか。その理由は「とんでもない」の構造を紐解いてみれば明らかです。
「とんでもない」という言葉は、じつはこれだけでひとつの単語です。文法的に言うと「とんでもない」という一語の形容詞です。
「とんでも」+「ない」で成り立っている言葉のような気がしてしまうので、「ない」の部分を丁寧に表現して「とんでもありません」と言ったり、さらに丁寧に「とんでもございません」と言ったりしてしまう人が多いのでしょう。でも、よく考えてみてください。「とんでも」+「ない」という表現が存在するのであれば、反対の意味を表す言葉として「とんでもある」という言葉があってもいいはずですよね。でも、「とんでもある」という言葉は今のところ存在しません。
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