ちなみに「ビンタ」というのも薩摩弁なんだそうです。「ビンタ」というカナ3文字を見るだけでも頬が痛くなってきそうですが、薩摩弁の「ビンタ」は「頭」という意味。決して平手打ちをすることではありません。これも警察官が被疑者を殴るときに「ビンタ出せ!」と言っていたことが、平手打ちで殴る行為そのものを表しているのと誤解されて定着してしまったのだとか……。
このように、本来の言葉の意味とはまったく違ったニュアンスが生み出されて定着した例は他にもたくさんあります。「ゆとり」「おたく」などもその例です。
いま「ゆとり」といえば、どちらかというとネガティブな意味に受け取る人が多いかもしれませんが、本来は「精神的にも物理的にも余裕があり、窮屈ではない」という、むしろポジティブな言葉です。
定着してしまえば誰もが普通に使うように
1980年代に学習指導要領が改訂となり、それまでの詰め込み教育を反省してゆとりと充実を掲げた指導方針に変更となったものの、それが学力の低下を生んだと指摘されたことから「ゆとり教育」を受けた世代を揶揄して「ゆとり世代」などと呼ぶ人がいます。それが、いまのネガティブな「ゆとり」のニュアンスに影響しているのでしょう。
「おたく」という言葉も、特定の趣味に偏愛を示す熱狂的なマニアを指すと考える人が多いかもしれません。でも本来は「あなた」や、相手の所属する家や組織を示す二人称に過ぎません。マニアックに特定の趣味に没頭している人たちが互いに呼び合う際、固有名詞を出さず「おたく」と呼び合うことが多かったことから、マニアックな人そのものを「おたく」と表現するようになりました。1980年代がその始まりだそうです。
このような例は他にもたくさんありますが、定着するまではそれぞれの言葉の使い方に違和感を覚えた人も少なくなかったことでしょう。もしかしたら「おいコラ!」だって、当時の鹿児島の人々には違和感があったかもしれません。
でも、定着してしまえば、その言葉に何ら疑問を持つことなく誰もが普通に使うようになります。
新しい表現がすべて定着するわけではなく、淘汰されて消えていくものもあるでしょう。けれど中には日常生活の中に定着して、根付き、数十年後には誰もが何の違和感もなく普通に使用しているかもしれません。
ただ、定着するまでの変化の過程において、は違和感を持つ人がいるのも事実です。それは致し方ないことです。よく耳にする「違和感のある日本語」の正体は、この「変化の過程にある言葉」と言えそうです。
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