69歳男性をひとり死させた「個人情報」という壁 「身寄りのない人間の最期」とはこんなものか

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5年前の取材を振り返るに、タイゾウさんは正社員として働き続けなかったことや、結婚をしなかったことを少なからず後悔している節があった。

「男として経済力があれば家庭を持ちたかった。でもまとまった金もないような男が結婚なんてできないと思っていました」「正社員とは、大きな建物のきれいなオフィスで働くものという根拠のない思い込みがあったんですよね」。

見栄っ張りなところがあると自己分析しながら、このような話をしていた。ただ私は、タイゾウさんの考えは古いとか、自己責任だなどという気には到底なれない。なぜなら問題の本質は、働き続けても貧困状態から抜け出せない質の悪い雇用しかないことであり、平気で労災隠しをする企業が野放しになっていることだからだ。

取材ではタイゾウさんの「年金加入履歴」も見せてもらったが、こちらも「雇用の質の劣化」がうかがえる酷いものだった。1990年代まではいずれの勤務先でも厚生年金に加入していたのに、バブル景気崩壊後は国民年金加入を示す「第一号保険者」という記載ばかりになるのだ。中にはフルタイムで働いていた勤務先もあり、一部の会社は保険料負担を避けるために不当に厚生年金に加入させなかったのだと思われる。国民年金になってからは、未納期間も一部にあるようだった。

「年金だけはどうしても払う」

斎藤さんも私も、タイゾウさんが生活保護を利用するようになってからも働くことを止めようとしなかったことを知っていた。少しでも保険料を払い、できるだけ多くの年金を受け取り、生活保護の利用をやめたいと思っていたからだ。故郷に帰りたい一心で、一時期は腰に痛み止めのブロック注射を打ちながら住宅展示場で案内看板を掲げるサンドイッチマンのアルバイトを続けていた。

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斎藤さんが「年金だけはどうしても払うんだっていって、携帯も買おうとしなかったんだよな。携帯があれば(生前に)連絡とれたかもしれないのに」とつぶやいた。

掛け持ちしなければ食べていけないような雇用の増加、悪質企業による社会保険の加入逃れ、生活保護利用者に対する根強い偏見――。さまざまな理不尽によるしわ寄せがタイゾウさんを最期まで苦しめた。

タイゾウさんの思い出を語りながら、斎藤さんと私の間で一つだけかみ合わないことがあった。私の取材メモにはタイゾウさんの出身地は「秋田」とあるのだか、斎藤さんは「青森のはずだ」と言うのだ。本人が亡くなった今、確かめる手立てはない。

5年前、タイゾウさんは私に1枚のモノクロ写真をくれた。河原のようなところで少年少女たちが弁当を囲み、屈託のない笑顔でこちらを見つめている。高校時代の遠足で撮影したものだという。

5年前の取材でタイゾウさんが筆者にくれた写真。「私が死んだときに少しでも自分のことを思い出してくれる人がいればいい」と話していた思いにこたえたい(写真:筆者提供)

「知り合った人に時々、写真をお渡ししているんです。私が死んだという知らせを聞いた人たちのうち、100人に1人でもいい。ああそんなやつがいたなと、思い出してくれればいいなと思って」

後ろではにかんでいる男の子があなたですね。太い眉毛に面影があるからすぐにわかりますよ。

本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。
藤田 和恵 ジャーナリスト

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ふじた かずえ / Kazue Fujita

1970年、東京生まれ。北海道新聞社会部記者を経て2006年よりフリーに。事件、労働、福祉問題を中心に取材活動を行う。著書に『民営化という名の労働破壊』(大月書店)、『ルポ 労働格差とポピュリズム 大阪で起きていること』(岩波ブックレット)ほか。

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