69歳男性をひとり死させた「個人情報」という壁 「身寄りのない人間の最期」とはこんなものか

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住宅街の中にひっそりと開かれた向原阿弥陀堂。一部の自治体からの委託を受けた葬儀社を通し、タイゾウさんのような引き取り手のない人のお骨を預かっている(筆者撮影)
現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。
今回は、2017年3月20日の記事【生活保護63歳独身男性を苦しめる腰痛と貧困】で紹介した男性を再度取り上げつつ、追悼の意を表したい。

洗練された雰囲気のマンションが建ち並ぶ住宅街の小路を曲がると、ふいに古びた一軒家やアパートが集まる一角が現れた。まるでその片隅だけが時の流れから取り残されたようだ。細い道を進むと、ひときわ年季の入ったアパートの前に小さな仏像が佇んでいる。東京・板橋区にある「向原阿弥陀堂」。引き取り手のない遺骨が預けられているという。

12月半ば、今にも雨が降り出しそうな空模様のある日、私は労働組合「ユニオンネットお互いさま」の副委員長・斎藤隆靖さんと一緒にこの阿弥陀堂を訪れた。11月初旬に69歳で亡くなったタイゾウさん(仮名)のお骨にお参りするためだ。

身寄りのない生活保護利用者

タイゾウさんは十数年前、労災隠しに遭ったことをきっかけに同ユニオンに加入した。そのときに痛めた腰は完治せず、10年前からは働きながら生活保護を利用していた。私がタイゾウさんに会ったのは5年前のこと。本連載で話を聞くために同ユニオンから紹介されたのがきっかけだった。

忘れられないのは、当時の取材でタイゾウさんが「秋田の生まれ育った町に帰りたい。でも小さな町だから。生活保護を受けている身では恥ずかしくて……」と話していたことだ。年金暮らしになって生活保護を止めることができたら、故郷に戻ることが夢だと語っていた。しかし、実際には埼玉県内のアパートでの独り暮らしの後、最期は都内の病院で亡くなった。結局帰郷の希望はかなわなかった。

身寄りのない生活保護利用者の安否を、第三者が知ることは難しい。

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