結婚20年の夫が思い悩む「休日の昼間がつらいよ」 もはや「挨拶程度」の妻との未来が見えない
いちょう並木さんこんにちは。
いただいたお手紙を拝見して、思い出しました。私もかつての夫と離婚したての頃、まだ幼かった子どもたちを連れてショッピングモールに行くと、決まって泣きたくなりました。
これだけ多くの人たちが幸せそうにしている。結婚を続ける、家族であり続けるというただそれだけのことが、私にはどうしてできなかったんだろうと落ち込みました。
今となっては笑い話ですが、同じ頃、離婚した元夫のほうも、友人と行ったショッピングモールで、人知れず涙を流したことがあったのだそうです。そこでお前が泣くんかい!と当時は思ったものですが、今なら多少はその気持ち、分からなくもないです。
楽しそうな人、幸せそうな人ばかりに思えるけれど
街には楽しそうな人、幸せそうな人ばかりいるように思えるけれど、一体そのうちどれだけの人が心から笑っているのでしょうね。大人である私たちは毎日大なり小なりさまざまな責任を負って、誰かのために生きていかなくてはなりません。もうやめた、と投げ出したくなることのないように、自分を守れる最低限の安全地帯を確保していなければ、そんな毎日は続けていけません。
きっといちょう並木さんも、そして恐らく奥さんも、これまで家庭という安全地帯を守るために、たくさんの思いを飲み込みながらやってこられたのだと思います。ちょっとの違和感や不満が安全を大きく脅かす火種とならないように、決定的な不和を生まないように、言いたいことを飲み込んで、最低限の安全を守ってこられたのだと思います。
別々の人間同士が共に暮らしていく中でそれは、ある程度やむをえないことだったのだろうと思います。けれどももしかするとそんな日々の中で、いつの間にか、本当に必要な言葉まで失われてしまったのではないでしょうか。
相手の心に触れて、自分の心に触れられる。相手をかけがえのない存在だと実感する会話の機会まで、失われてしまったのではないでしょうか。もしそうであれば、家庭は安全でありながら安心のない、ホームとは呼べない場所になってしまうでしょう。
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