"逆臣"批判もある「北条義時」が本当は偉大なワケ 約700年にわたる武家政権の礎を固めた男の半生
前半生はいつも誰かの運命に振り回されていた
偉人が歴史に名を残すにあたって共通しているのが、幼少期や青年期に何かしらのきっかけをつかんでいることだ。
西郷隆盛ならば、薩摩藩藩主の島津斉彬に意見書を提出し、それが認められて引き上げられた。盟友の大久保利通の場合は、趣味の囲碁を通じて斉彬の弟、久光に近づき、出世の階段をかけのぼっていった。そこには「自分の人生を何としてでも変える」という強い信念を感じる。
北条義時もまた青年期にチャンスをつかんだ。鎌倉幕府を開いた源頼朝によって、歴史の表舞台へと引っ張り出されることになる。
ところが、義時の場合は、自分の意思とまったく関係のないところで、結果的に道が拓けることが多かった。言い換えれば、義時の前半生は、いつも誰かの運命に振り回されてきたともいえるだろう。
義時の人生におけるターニングポイントの1つが、姉の北条政子が源頼朝の妻になったことだ。


















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