"逆臣"批判もある「北条義時」が本当は偉大なワケ 約700年にわたる武家政権の礎を固めた男の半生

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こうして義時の半生を振り返ると、頼朝が51歳の若さで急死する以前と以後で、まるで人生が変わってしまったことがわかる。加えて、頼朝が鎌倉に入る前に、兄の宗時が戦死したことも、義時の将来を大きく左右した。

将軍の頼朝や、兄の宗時のサポートに徹することが許されたならば、義時の人生もいくらか平穏だったに違いない。少なくとも後鳥羽上皇から名指しされて討伐の対象となることもなければ、その戦いに勝利して上皇3人を配流することも、後世から「逆臣」と批判されることもなかっただろう。

「次郎は心も猛く、たましいまされるもの」

『増鏡』では、義時の性格をそんなふうに表現している。取り巻く環境に求められて、猛猛しくならざるをえなかったのかもしれない。

後妻による毒殺説が浮上する理由

承久の乱から3年が経った貞応3(1224)年6月13日、北条義時は62歳で、その生涯を閉じている。『吾妻鏡』では病死とされているが、近侍による他殺とする『保暦間記』や、義時の後妻のえ(伊賀の方)による毒殺を思わせる『明月記』の記述もある。

ただ、14世紀半ばに成立した『保暦間記』は、例えば、頼朝の死については「安徳天皇の亡霊を見て気を失って病死した」とある。記述の信頼性は心もとない。

一方、『明月記』は鎌倉時代の公家である藤原定家の日記であり、「承久の乱」で上皇側についた僧侶の尊長の口から、義時の死因が語られている。尊長は捕らえられたときに、こう口走ったという。

「早く首を斬れ。義時の妻が義時に飲ませた薬で殺せ」(早頸きれ、若不然ハ、又義時妻義時にくれけむ薬まれ)

尊長は、伊賀の方が陰謀によって将軍に据えようとした一条実雅の実弟にあたる。裏事情を知る立場にあってもおかしくはない。これだけでは真偽のほどはわからないが、義時の死について、当時からいろいろうわさされていたことは、確かなようだ。

もっともどんな最期にしろ、激動の生涯を送った義時に、もう思い残すことはなかったのではないだろうか。

承久の乱において、幕府軍が朝廷軍に見事に勝利したときのことだ。息子の泰時から戦勝報告を受けると、義時はこう述べたという。

「今は義時思うことなし」

鎌倉幕府の体制維持に人生をかけた義時。その後、大政奉還までの約700年間、武家政権が続くこととなった。

【参考文献】
『全訳 吾妻鏡』(貴志正造訳注・新人物往来社)
『承久記』(松林靖明校注・現代思潮新社)
渡辺保『北条政子』(吉川弘文館)
高橋秀樹『北条氏と三浦氏』(吉川弘文館)
安田元久『北条義時』(吉川弘文館)
山本みなみ『史伝 北条義時』(小学館)

野口実『北条時政』(ミネルヴァ日本評伝選)

真山 知幸 著述家

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まやま ともゆき / Tomoyuki Mayama

1979年、兵庫県生まれ。2002年、同志社大学法学部法律学科卒業。上京後、業界誌出版社の編集長を経て、2020年独立。偉人や歴史、名言などをテーマに執筆活動を行う。『ざんねんな偉人伝』シリーズ、『偉人名言迷言事典』など著作40冊以上。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義(現・グローバルキャリア講義)、宮崎大学公開講座などでの講師活動やメディア出演も行う。最新刊は 『偉人メシ伝』 『あの偉人は、人生の壁をどう乗り越えてきたのか』 『日本史の13人の怖いお母さん』『逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ』(実務教育出版)。「東洋経済オンラインアワード2021」でニューウェーブ賞を受賞。

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