紫式部は藤原道長のからかいを嫌がっていた?
連載の前回(『NHK大河はどう描く?「紫式部と道長」微妙な関係』)は、「実は道長と紫式部の関係はさまざまな解釈がなされている」ことを説明した。紫式部にとって道長はかなり気を遣う必要のある社長かパトロンか、大方そんな存在だったのだろう。が、和歌のやり取りだけを見ると、「もしかして紫式部と藤原道長って色っぽい関係でもあったのかな?」と思ってしまうところがある。
筆者の立場としては、「いや、紫式部はわりと本気で道長のからかいを嫌がっていたのではないだろうか……」と思っている。その根拠が『紫式部日記』に書かれた以下の場面。
源氏の物語、御前にあるを、殿の御覧じて、例のすずろごとども出できたるついでに梅の下に敷かれたる紙に書かせ給へる、すきものと名にし立てれば見る人の折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ給はせたれば、「人にまだ折られぬものを誰かこのすきものぞとは口ならしけむめざましう」と聞こゆ。
(※以下、原文はすべて『紫式部日記 現代語訳付き』(紫式部、山本淳子訳注、角川ソフィア文庫、KADOKAWA、2010年)
<筆者意訳>いつもの雑談ついでに、道長様は中宮彰子様の前に置かれてあった『源氏物語』を見て、ある和歌を詠まれた。梅の枝の下に敷かれた紙に、さらさらとこう書かれてある。
「すきものと名にし立てれば見る人の折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ(「すっぱくておいしい」と評判の梅の枝を、折らずに通り過ぎる人がいないみたいに……「モテる女」と評判の『源氏物語』作者を前にして、口説かない訳にはいきませんよ)」
その和歌を私に贈ってくださったので、私はこう返した。
「人にまだ折られぬものを誰かこのすきものぞとは口ならしけむ(まだ折られてないのに、どうしてこの梅がすっぱいなんてわかるのですか? 私は誰にもなびいてないのに、どうしてそんな評判が立つのです)不愉快ですわ」
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