『紫式部日記』には道長がしばしば登場するが、紫式部に和歌を贈ったり、あるいは『源氏物語』用の紙をたくさん用意してくれたり、かなり紫式部と交流があったことが伝わってくる。
なかでもこれから紹介する場面のように、紫式部と道長一家はもう家族ぐるみの付き合いのような状態になっていたことがわかるエピソードも、しばしば登場するのだ。
「宮の御前、きこしめすや。仕うまつれり」と、われぼめし給ひて、
「宮の御ててにてまろ悪ろからず、まろが娘にて宮わろくおはしまさず。母もまた幸ひありと思ひて、笑ひ給ふめり。よい男は持たりかし思ひたんめり」
と、戯ぶれ聞こえ給ふも、こよなき御酔ひの紛れなりと見ゆ。さることもなければ、騒がしき心地はしながらめでたくのみ聞きゐさせ給ふ。殿のうへ聞きにくしとおぼすにや、渡らせ給ひぬるけしきなれば、「送りせずとて、母うらみ給はむものぞ」とて、急ぎて御帳の内を通らせ給ふ。
「宮、なめしとおぼすらむ。親のあればこそ子もかしこけれ」と、うちつぶやき給ふを、人々笑ひきこゆ。
<筆者意訳>「中宮様、私の和歌を聞きました? うまく詠みましたよ」
娘である中宮彰子様のもとへ、道長様は自分のつくった和歌を自慢しにいらした。
「あなたの父さまとして俺は悪くない男ですし、俺の娘としてもあなたは悪くはない。そしてきっとお母さまも『私はこんな人の妻になれて幸運だわ』と思ってほほえんでいるのです。いい夫をもったわ~と思ってらっしゃるのだ」
道長さまはそう冗談をおっしゃっていた。たぶん、すごく酔っている。私は大丈夫かいなと思ったが、中宮様は楽しげに聞かれているみたいだった。が、奥様は「こんな発言聞いてらんないわ」と思ったらしい。自分の部屋にお戻りになってしまった。
「ああ、お母上を部屋まで送らないと。後で機嫌が悪くなっても困るし」と、道長さまはおっしゃって、急いで御帳台をくぐる。奥様の後を追うのだろう。
続けて道長さまは「中宮、あなたより母上を優先するのは失礼だと思われるかもしれませんが、親があるからこそ子もちゃんとしてられるものですよ」とつぶやかれる。女房たちはくすくす笑いながら、道長さまをお送りした。
酔っぱらっている道長が、娘と妻にちょっと調子乗ったことを言い、妻にそっぽを向かれる……そのような場面を紫式部は日記に残している。道長の妻・倫子は、当時においては珍しく夫に対等な姿勢をとる女性だったらしい。
紫式部にとって宮中はネタの宝庫
それもそのはず、倫子からすれば道長に土御門邸を「あげた」のは自分なのだし(そもそも倫子が父母から譲り受けた邸だ)、身分だって倫子の父の地位が高かったからこそ道長は今の権力まで手にできたのだ。倫子という妻がいて幸運なのは道長のほうなのである。
こんなふうに『紫式部日記』を読んでいると、さまざまな貴族たちの事情を日々観察し、そして一部を日記にしたためていた紫式部にとって、宮中はネタの宝庫だっただろう。
いよいよ次回からは紫式部が書いた長い宮廷絵巻、『源氏物語』を読んでいこうと思う。この宮廷の人間ドラマを、彼女は物語にどういかしたのだろうか。
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