原晋監督就任から5年後の2009年に33年ぶりに箱根駅伝出場、そして2015年には初の総合優勝。そこから2018年にかけて4連覇を果たし、2022年には大会新記録を更新して優勝するなど、今や押しも押されもせぬトップ校の仲間入りを果たした青山学院大学陸上競技部。
ですが、原監督もここまで辿り着くまでには幾多の困難にぶつかってきました。当初の契約は3年で、その間に箱根駅伝出場を目標に掲げていました。しかし、3年目の箱根駅伝予選会の成績は16位。部内やOBからも批判の声が上がるなど、崩壊寸前の状況となっていたそうです。そこからどのように立て直し、挫折と向き合ってきたのでしょうか。新著『「挫折」というチカラ 人は折れたら折れただけ強くなる』を一部抜粋し再構成のうえお届けします。
結果への盲信が軸をずらす
私の中で人生最大の挫折と呼べるものは、2004年に青学の監督に就任してから3年目のことです。そもそも私の契約は3年で、その間の箱根駅伝出場を目標として掲げていました。
しかし、その3年目、2006年の箱根駅伝予選会の成績は16位、出場枠からのタイム差が前年よりも大きく広がってしまう大惨敗でした。部内やOBからも批判の声が上がるなど、崩壊寸前の状況となっていたのです。
私の考え方、やり方が間違っていたとは思いません。陸上選手としてだけでなく、規則正しい生活を送ることで人間形成を促し、それが陸上の成績につながるという思いは当初から一貫していました。
ただ、振り返ってみると、そうした理念の共有が上手くいっていなかったのだと思います。組織というのは、ゼロベースから作るのは割と簡単です。トップが理念を示し、それに共感した人たちだけを集めればいいのですから。
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