また、その時の状況が挫折につながった大きな理由は、外的要因です。
結果が残せなかったことで、部員やその父兄から「原監督の指導が悪い」という声も聞こえてきましたが、それ以上に一部のOBたちが暗躍し出したのです。
OBたちの中には、選手を呼び出し「素人である原の言うことなんて聞く必要がない」と吹き込む者も現れたそうです。私がOB会に協力を求めると、その場で面と向かって「私たちの仕事は、広げた風呂敷を畳むことだ」なんて言う人もいました。
廃部の危機
彼らにとっては、卒業生でもない私が監督をしているのが面白くなかったのかもしれません。それでも、自分がこれだけ青学を強くしようと頑張っているのに、それを助けるどころか、裏で足を引っ張られているという事実を知った時には強いショックを受けました。
おまけに、学内でも旗色は悪くなっていました。そもそも、スポーツ推薦制度というのは野球やサッカーなどを含めたさまざまな競技全体で枠を持っているものでした。そこへ陸上部だけは別枠の推薦制度を持ったのですから、他競技の部活から妬まれるのも当然です。
私自身がクビになる危機であると同時に、陸上部が推薦制度から外され、箱根駅伝を目指す組織としては実質「廃部」になってしまう危機でもあったのです。
そうした危機の中で、私は契約更新のために大学執行部へのプレゼンに臨みました。普通は成果が出ていなければ、その理由を説明します。たとえば、資金が足りない、設備が貧弱である、コーチやマネージャーを増やす必要がある、といったような改善要望を出すでしょう。
しかし、私はそうはしませんでした。これまでやってきた規則正しい生活の導入や 地域清掃活動などの人間形成教育が実を結びつつあり、もう少し時間があれば必ず成果を出せるということを丁寧に説明したのです。そのためには私を切ったとしても、 推薦枠などの整備は続けてほしいとお願いしました。
陸上の成果や課題よりも、学生たちが授業の単位をしっかり取っていることや、ちゃんと就職ができていることなどを説明するものですから、執行部の人たちはキョトンとしていました。そんなことの何が陸上と関係があるのだ? と思っていたはずです。
それでも熱意が伝わったのでしょう。何とか1年更新で首の皮一枚つながったことは忘れられません。
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