私が陸上部の監督になってから、妻は私を「監督」と呼び、つねに味方でいてくれました。しかし、私の味方である以上に「チーム存続の味方」でもあったのです。監督はチームの指揮官であり、選手はプレイヤーです。
監督が謝るべきでないところで頭を下げることで、チーム内の序列は崩れてしまいます。序列の崩壊はチームの崩壊と妻は感じていたのでしょう。陸上部は大学初の特別強化指定部として試行錯誤して改革を進めていました。ですから監督が潰れれば部の存続も危うく、その大学の制度そのものも否定されうるのです。
また、強化指定1期生で4年時に主将となった檜山雄一郎は、「監督だけが悪いわけではない。自分たちだってトレーニングをしっかりやったか、寮生活をきちっとやったかといえば、そうは言えない。勝つためには改革と覚悟が必要だ」という話を自ら選手たちにしてくれました。
「理念の共有」はお金などの利害関係を凌駕する
四面楚歌だと思っていた中でも、そのように自分の核の部分を信じてくれた人たち は「同志」と呼べる存在です。あの時、3年目で首を切られていたら、5年目以降の青学陸上部の躍進はありませんでした。
人は1人では生きられません。自分の心の核がどんな揺るぎないものだとしても、 絶望の中では間違った判断をしてしまうこともあります。ですから、同志を見つけてください。同志の存在は挫折を乗り越える力を倍にしてくれます。私の言う同志とは 「理念を共有できる人」のことです。一緒にいて楽しい、悲しい時はなぐさめてくれる人のことではありません。
「こうありたい、こうなりたい」という根本的な考えに 共鳴、共振してくれる人が同志と呼べる人なのではないでしょうか。自分の理念を共有することによって、そこに共感し共鳴し共振してくれる同志がいれば、心の「核」 の強度は一気に増します。
ですから、中国電力を辞めて監督になる時も1年かけて自分の「理念」を妻と共有しました。そして、「青学を日本一のチームにする。絶対にあきらめない。失敗したとしても絶対に這い上がる。そのための努力を惜しまない」と固く約束したのです。
もしこの理念を深く分かり合えてないままだとしたら、何か悪い事態、不利になる状況になった時、人はすぐに逃げていきます。「理念の共有」はお金などの利害関係を凌駕する、固い絆を作るものです。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら