正しい日本語は「ない」1300年前の歌が教える真実 面白おかしい表記は「万葉集」の時代からある

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「日本語」は遊びに遊びを重ねてつくられた言語かもしれません(写真:YAMATO/PIXTA)
日本の古典文学というと、学校の授業で習う苦痛な古典文法、謎の助動詞活用、よくわからない、風流な和歌……といったネガティブなイメージを持っている人は少なくないかもしれませんが、その真の姿は「誰もがそのタイトルを知っている、メジャーなエンターテインメント」です。
学校の授業では教えてもらえない名著の面白さに迫る連載『明日の仕事に役立つ 教養としての「名著」』の第3回は、およそ1300年前に誕生した現存する日本最古の和歌集『万葉集』の表記についてです。
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たまに、正しい日本語、というものを提唱する人がいるけれど、私は言語に正しさもなにもあるものだろうか、と思っている。なぜなら万葉集を見てみれば、漢字や日本語を面白おかしく使った表記というものが、奈良時代にすでに登場しているからだ。

暁の目覚まし草とこれをだに見つついまして我を偲はせ(巻12・3061)
五更之目不酔草跡これをだに見つついまして我を偲はせ
(夜明け前、目覚まし草としてこれを見てね、そして私を思い出してね)

……下の漢字と上の読みが、あまりにも一致しない!

「五更之目不酔草跡」がどうやったら「あかつきの めざまし草と」と読めるのだろうか。

① 「五更」は中国の表記方法で、午前3~5時のこと。だから「あかつき」

② 「目不酔草」は、「不酔」を「さまし」(酔いは醒めるものだから)と読ませて、「めざまし草」

③ 「跡」は、「あと」の最後の読みを使って「と」

「w」を「笑い」と読ませる手法と同じ

さて、こうしてみると、漢字の「意味」で表記している場合と「音」で表記している場合の両方があることがわかるのだ。つまり①の「五更」あるいは②の「不酔」は、漢字を意味で捉えている。でも、③の「跡」は、意味は関係なく音だけに注目して読みをつくっている。万葉集の時代、漢字は「意味」と「音」のどちらを捉えてもよかった。

あるいは③のように、万葉集には「漢字の音のうち、最後一文字のみを読む」という「略訓」と呼ばれる表記がたまにある。これ、現代でも実は私たちが無自覚に使っている手法だ。「w」と書いて「笑い」と読ませるネット用語があるのだが、これは「語彙の一音だけを使って表記する」、略訓の変化形だと私は思う。

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