もはや大喜利!万葉集「二八十一=憎く」と読む訳 ヤンキー用語やキラキラネームと同じ発想

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万葉集の魅力に迫ります(タイトル:TAKEZO/PIXTA)
日本の古典文学というと、学校の授業で習う苦痛な古典文法、謎の助動詞活用、よくわからない、風流な和歌……といったネガティブなイメージを持っている人は少なくないかもしれませんが、その真の姿は「誰もがそのタイトルを知っている、メジャーなエンターテインメント」です。
学校の授業では教えてもらえない名著の面白さに迫る連載『明日の仕事に役立つ 教養としての「名著」』の第2回は、万葉集の最大の謎「漢字の読み方」です。

「よし、万葉集をちょっと原文で読んでみようかな!」

そんなふうに意気込んで、最初に挫折するのは……万葉集の表記ではないだろうか。愕然とするのだ。万葉集は、漢字ばかりで書かれているから。

例えば、連載第1回で取り上げたこちらの歌。

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(巻1・20)

この歌の原文は、

茜草指武良前野逝標野行野守者不見哉君之袖布流

漢字ばかりで読みづらい。それが万葉集の原文なのだ。私たちがいま原文で万葉集を読もうとすると、この漢字で書かれた和歌を、ひらがなとして読みなおさなければならないのである。

読めない。そう困惑されるかもしれないが、しかし意外と、読もうと思えば知識なしで読めることが多い。例えば、最初の

・「茜草指」は、茜草=あかね、指す=さす、で「あかねさす」

・「武良前野逝」は「武」=「む」、「良」=「ら」、「前」=「さき」、「野」=「の」、「逝」=「ゆき」で「むらさきのゆき」

ほら、ちょっと読めるような気がしてきません?

当時はひらがなすら発明されていなかった

万葉集の時代には、まだひらがなすら発明されていなかった。公的文書は漢字だった。だからこそ、和歌であっても、それは漢字で綴られた。漢字を使って日本語を綴るというアクロバティックな行為を実現するため、現代人からみるとこじつけのように思える読みを生み出していた。これを万葉仮名という。

現代で「夜露死苦」と書いて「よろしく」と読ませるヤンキー用語があるが、あれは完全に万葉仮名のオマージュとなっているのだ……! 万葉集の時代と発想が同じだ。

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