また、違和感を得た後に、ここで挙げた例のようなわかりやすい証拠やデータが判明すれば良いですが、確証をつかめないままの場合もあります。その場合は、もやっとした違和感だけが残ることでしょう。
特に、人間関係での違和感の場合は、そのパターンが多くなります。
例えば、誰かに対して「これまでと何かが違う」と感じたときに、それがただの気のせいであったことはどれほどあるでしょうか。誰しも生きていく中で、歳を重ねるにつれて、人間関係の悩みも増えていきます。それによって、違和感というセンサーの精度も高まっているはずです。
しかし、そのセンサーを仕事で情報を精査するために使わない手はありません。
「疑う」の本質は「ほかの可能性を探ること」
9月24日配信の「仕事ができない人は『疑う』の本質をわかってない」でも述べたように、「疑う」の本質は「ほか他の可能性を探ること」です。決して「人への疑惑をもつこと」ではありません。自分の五感を使い切って情報を確かめる。そして自分のセンサーを信じてみる。生物としてはごく当たり前の行為ですが、年をとるにつれ、その行動をとりづらくなる方も多いのではないでしょうか。
何事も「論理、論理」と考える人ほど、「情報はすべて揃えることができる前提」で仕事を進めてしまう傾向があるのではないでしょうか。仕事においてそんな前提などあり得ません。
ビジネスシーンで何かしらの判断を求められる際に、全ての情報が出そろうケースなど皆無に等しく、断片的に集められた情報の中で、自分の類推で結論を導くことになる場合がほとんどです。しかし、自身の考察を述べる際に、上述した“なにか”を頼りにするだけでは、いつまで経っても、オリジナルのアイデアを創出して真に独立(自立)することはできません。
自分を独立させて、市場データや知見者の考察は補助的に活用する。これがVUCAの時代における正解への近道ではないでしょうか。
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