ネットの世界では「論破」が大はやりです。論破を売りにしている人への賞賛が増すことはあっても、減ることはありません。もっとも、グゥの音も出ないほど相手を追い詰めたことで「論理的な人」という称号を得られたとしても、論破それじたいによって「仕事ができる」ことの証明になるわけでもありません。世界中で続々翻訳刊行されている話題の書『マッピング思考:人には見えていないことが見えてくる「メタ論理トレーニング」』の著者ジュリア・ガレフは、論破したがる人が気づかずに失ってしまうものがあると指摘しています。それはいったい、何なのでしょうか。
合衆国建国の父は元祖「論破」の人?
最近、文章の最後に「終了」「論破」「乙」「以上」といった、絶対に「自分が正しい」といわんばかりの表現が用いられることが増えてきた。
経済学コラムニストのミーガン・マッカードルは、これらの断定的な表現が何を意味しているかについてこう考察している。
「こうした表現を使うと自分(と、もちろん気の合う仲間たち)の気分を高め、非の打ちどころのない倫理的な論理を振りかざして大地を悠然と闊歩する、道徳上の巨人になったつもりになれる」
論破とは正反対とも言える格好の例が、「アメリカ合衆国建国の父」の1人と言われるベンジャミン・フランクリンだ。
フランクリンは、対人関係に対する自信に満ちあふれていた。チャーミングで、ウィットに富み、活力が旺盛で、生涯を通じて多くの友人をつくり、新しい組織をいくつも立ち上げた。
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