そのうえで誰かに「私が間違っていた」と伝える気持ちがあるのは、エゴよりも真実を大切にする人間であることのはっきりとした証しになる。そういうことができる人物を「謙虚な人」と呼ぶ。
9割の人が手に入らない「大きな価値」
「真実」「合理的」「公正」「望ましい」などと思えるものも、視点の違いや問いの立て方次第で変わり得る。「人の考えは、絶対的なものではない」という認識を持てるようになると、自分の思考のとらえ方を根本的に変えられる。
それは、「主張しようとすること」と「真実を探ろうとすること」という2つの感覚の違いを見分けられるようになることだ。
「主張をしようとすること」は、自分の中の広報担当者にしゃべらせるようなもの。「自分の正しさ」を迷わずアピールする感覚だ。
当然、目を背けたくなるようなものごとは、スルーしようとする。それは宣言であり、断定であり、違う意見に対する冷笑である。
これに対して「真実を探ろうとすること」は、自分の中の取締役会に判断を仰ぐようなものだ。どんな答えが返ってくるかはわからない。
目を細めて何かをつぶさに観察し、見たままを描写するという感覚に似ている。それは推定であり、予測であり、熟考である。
「私は今、現実をクリアに見ようとしているだろうか?」という自己認識を持てることこそが、何よりも大きな価値をもたらしてくれる。まさにそれが、謙虚さだ。相手を論破しようとしているかぎり、いつまでたってもその価値を手に入れられることはない。
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