頼られる存在だったから、矢面にも立った
ソラさんは、みんなの中心にいた。施設に入ってすぐ「このままでは一番下っ端の私がやられっぱなしだ」と気づいて、ちょっかいを出してきた男子に反撃を喰らわせたところ、立場は逆転した。以来「上からは一目置かれ、周囲からは頼られる」存在となった。
それでも「安心」ではなかった。
「施設は“安全”ではあるけれど“安心”できる場所ではないって感じてました。同世代の仲間は大好きだったし、守ってあげたかった。でも、先生や親は敵だった。当時は、変な正義感がすごく強かったですね。いかにこの狭く閉じ込められた世界で楽しく過ごせるか、ということを考えて、いろいろ遊びを生み出したりして」
矢面に立つのもソラさんだった。先生にはいつも目をつけられていた。やってもいないことで叱られたことも、夜中の3、4時頃まで壁掃除をさせられたことも、何度もある。
当時、大学生の訪問のほかに、もう一つ楽しみだったのが学校の図書館だった。外出すらままならない生活のなか、「自分はほかの子より、ものを知らない」と強く感じていたソラさんは、「むさぼるように、片っ端から」本を読んだ。
ところが担任は、読む本を制限した。恐竜の本や図鑑を借りたいと思っても、「女の子だから、そういうのは読まなくていい」と言って貸し出してもらえない。3年生になると急に「何でもOK」になったが、理由は不明だ。
高校生になると、生徒数の減少により盲学校の施設は閉鎖されてしまった。ソラさんはバスで30分ほど離れたところにある、聾学校の施設に移ったが、視覚障害者と聴覚障害者の共同生活は激しく困難だった。コミュニケーションが成り立たないのだ。
「頑張って、いろいろ試したんですよ。中学生の女の子とは筆談でちょっと遊んだりして。でも、同世代は男の子しかいなくて、『一緒にテレビみよう』って誘ってくれるんだけど、ボリュームマックスだから頭が痛くなっちゃって。ドアを閉める音や、机や椅子の音も大きいし、補聴器からずっとピーッと音がしている。私は見えないから、どちらかというと耳が良すぎるので、毎日学校から帰るのが憂うつでした」
もちろん聴覚障害の子どもたちも、まったく悪くない。悪いとしたら、子どもたちにふり向けるべきお金を省いた、国や自治体、われわれの社会だろう。
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