先生に怒られると、よくみんなで「家出」をした
施設では、貧困、虐待、ネグレクトなど、さまざまな事情を抱える子どもたちが共に生活をしていた。みんな視覚に障害があり、知的や精神など重複障害をもつ仲間もいた。
ときどき大喧嘩はするものの、子どもたちは基本的に仲がよかった。「自分たちは目が見えない」「職員の先生たちには、どうせ(自分たちのことが)わからない」という思いを共有していたからではないか、とソラさんは言う。
とにかく自由がなかった。施設ではつねに「ラジオ体操」「マラソン」「廊下掃除」「学習時間」などやることが決められており、学校の友達のように見たいテレビを見ることはできなかった。洋服はいつも着古されたポロシャツとズボンで、髪は「全員ショートカット」という決まりだった。
外に出られるのも、先生に決められたときだけ。でも、ソラさんたちはどんどん抜け道を開拓した。滑り台のてっぺんから屋根に飛び移り、そこから近所の家の塀の上に跳び降りて、近くの神社へよく行った。あまり見えないのに危なそうだが、つねに視覚に頼らず生活する子どもたちの五感は、わたしたちのそれより遥かに鋭敏なのだ。
「楽しかったのは、赤十字サークルの大学生たちが、週に一度必ず施設に遊びに来てくれるんですよ。そのときは本当に自由に大学生と遊んで、外の世界のことをいろいろ聞いて。みんな、それを楽しみにしてました。先生になんて絶対話せない話を、お兄さん、お姉さんにだったらいっぱい話せる。でもちゃんと秘密は守ってくれて」
「ストライキ」を試みたことも、何度もあった。先生にこっぴどく叱られた後、必ず誰かが「もう、こんなところ出てってやる! 家出しよう」と言い出すのだ。
「そうすると大体5、6人が『私も』『俺も』みたいになって、リュックに荷物をいろいろ詰め込み始める。『靴下も必要だな』とか言って。それで敷地の外に脱走するんだけど、しばらく公園とかで遊んでいると、『この後、どうする?』『今日、泊まるところあるかな』とか、だんだんフェイドアウトして、最後は施設に帰ってくる(笑)」
家出は成功しないわけだが、なんだか楽しそうだ。
なかには「とんでもない先生」もいた。少年院から異動して来た職員は、子どもたちを叩き、蹴とばし、「クズ」呼ばわりしたりした。だが、子どもたちが大人だった。「先生、ここは少年院じゃないんだからさ」「ここまでする先生ほかにいないよ」「先生怖すぎ」と諭し続けた結果、数年後には「別人のようにやわらかい先生」に変わっていたという。
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