「ハリー・ポッター」根強い人気を誇る本当の理由 「古代神話ストーリー」と同じ構図!その中身は
これらに反するものが、悪者だった。つまりは共同体のルールを破り、わたしたちを分断させようとする者たちである。そこには共同体内部の反逆者だけでなく、共同体の外部の敵も含まれる。川向こうの集落からやってきて獲物を分捕ろうとする「ヤツら」は、危険な競争相手だったからだ。
このように古代の神話のストーリーは「善と悪の戦い」として構築されていった。これらのストーリーは、人間が100人単位ほどのこぢんまりとした共同体で生きていたころには有効だったのだろう。内向きになり結束を固めることこそが、生き抜くために必要な力だったからだ。
わたしたちが戦うべき相手は「悪者」ではない
しかし現代社会はもはや狩猟採集時代の小さな共同体ではない。本書はこう鋭く指摘する。
「私たちのナラティブ心理は、先祖が血縁関係、言語、民族、同じ文化的アイデンティティーの物語によって全員が結ばれていた小さな共同体で暮らしていた時代に進化した。そんなこぢんまりとした世界はすっかり消え去り、血縁関係のない、めまいがするほど数の多い人びとを擁する国家に取って代わられた。しかし私たちが語る物語は、いまだに人びとを部族に切り分け、互いに敵対させる昔ながらの役割を果たしている」
現代社会にはさまざまな集団があり、さまざまな小さな権力が重層的に積み重なっており、それらの相互作用によって物事は進んでいく。そこで求められているのは、そうした相互作用をどううまく駆動させるのかという調整とバランスである。しかし神話的な「善と悪の戦い」というストーリーに依拠する人たちは「調整とバランス」などに目を向けることはしない。そもそも「調整とバランス」は物語として楽しくなく、悪を成敗するカタルシスにも欠けているからだ。
わたしたちの本能に根ざしてしまっているこの厄介な問題に、どう向き合うのか。それが現代社会のもっとも大きな課題の1つだと思う。わたしたちが戦うべき相手は「悪者」ではなく、実は「善と悪の戦い」というストーリーそのものなのだ。
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