「こうあるべき」「こうせねば」といった規範に縛られすぎているのでは? 友人から指摘されて、自分のなかにある「べき」「ねば」をノートに書きだしてみたことがある。書く手が止まらなくなって、自分でもびっくりした。
「本当にいっぱいあるんです。大きいことだと、『家事は妻が全部やるべき』『育児は母親が全部やるべき』とか、『お母さんは子どもを大好きであるべき』『腹が立つことがあっても、むかっとしてはいけない』とか。
小さいことだと『洗濯は何時までに終わらせるべき』『スーパーでの買い物は2000円までにおさめるべき』とか。そのくらいの金額は、何か大容量のサイズを買ったらすぐ超えちゃうのに、『こんな無駄遣いをしてしまった。自分はダメだ』と落ち込んでしまう。
たぶんそれは昔、『お母さんは無駄遣いできない、好きなものは買えない』みたいなことを母が言っていたのが残っているんだと思います」
何か起こるたび「親のせいだ」と思ってきた。「こういうふうに育ったから、仕方ない」と自分に言い聞かせていた。子育ては、葛藤の連続だった。
親がくれた愛情、ポケットを開けてみたら「あった」
変化が訪れたのは、昨年の暮れ頃だった。5月に母親が他界して約半年が過ぎ、光世さんはアダルトチルドレンに関する本などを読み、自分の内面と向き合おうとしていた。
「親との関係」という壁を乗り越えなければ、自分は前に進めないと感じていたからだ。次第に、自分の課題が見えてきた。
「私、人前では『いい子ちゃん』なんです。『いい子』に見せる技を、無意識に身につけている。だから『親のことが嫌いだ』って言えなかったんですね。それを言ったら『親不孝者』とか『育ててもらったくせに、大学まで行かせてもらったくせに恩知らずだ』って、人から思われるのが嫌だったから。それでモヤモヤしているのかな、と思って。
だからこれからは、なるべく言っていこうと思ったんです。それで親しい友達に『私、(親のこと)大嫌い、本当はすごくむかついてた』みたいなことを言ってみたら、すごくすっきりしました(笑)。友達に言うことで、自分に落とし込んでいった気がします。耳からも聞いて『あ、そうそう、本当、嫌い嫌い』みたいな」
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