「話しやすい人」「話しにくい人」その本質的な違い 弱いところやダメな部分をどう受け入れるか
自分自身を受け入れていないと、人はなかなか「自分は自分のままで、この世界に存在していても良い」という確信を持つことができません。
その結果、社会や他者からの評価によって、自分の価値や自分が存在する意味を確かめようとするため、ときには他人の話を遮ってまで自分の存在をアピールしたり、他人を押しのけてまで居場所を確保しようとしたり、必要以上に他人の顔色をうかがったりすることがあります。
しかし、社会や他者の評価はあてにならず移ろいやすいものです。他人を一面でしか評価しない人はたくさんいますし、自分より優れた人も、世の中にはたくさんいるからです。そのため、社会や他者の評価によって、自分の価値や存在意義を確認している限り、人は十分な満足感を得られず、焦燥感を抱え続けることになります。
人が、会話や会議などの最中に「ここで何か言わなければ」「自分の存在を主張しなければ」と焦ってしまうのは、それをしなければ自分の存在価値がなくなってしまう、自分の居場所がなくなってしまうと感じるからだと私は思います。
完璧主義で他人に厳しくなる傾向も
自分と生き方や考え方が異なる人と話をしているとき、過剰に腹を立てたり、喧嘩腰になったり、相手を無理やり説得しようとしたりする人にも、そうした焦りがあるような気がします。
自分を受け入れていないと、自信が持てず、「自分は自分であり、他人は他人である」という割り切りができないため、「自分と違う考えや生き方を認めてしまったら、自分の価値が揺らいでしまうのではないか」と不安になってしまうのです。
「完璧でなければ、他人や社会から認められない」と思うあまり、完璧主義になり、自分にも他人にも厳しくなってしまう人もいるでしょう。
でも、自分自身を受け入れることができれば、「ダメなところもあるけど、自分は唯一無二の存在である」という、確固たる自信を持つことができます。
そして、「この人に好かれたい(この社会で評価されたい)という思いはあるけど、自分なりに努力をしたうえで、ダメならダメで仕方ない」「万が一、この人に好かれなかったり、この会社やコミュニティで居場所がなくなったりしたときには、新たな場所を探すか、一人で強く生きていこう」といった具合に、ある程度ドライな気持ちで生きることができるようになります。
そうなれば、「ここで何か言わなければ」「自己主張しなければ」という気持ちが薄くなり、相手の話を落ち着いてきちんと聞くことができるようになるでしょう。