「話しやすい人」「話しにくい人」その本質的な違い 弱いところやダメな部分をどう受け入れるか
「人間はみな、完璧ではない。自分にダメなところがあるように、相手にもダメなところがある」「自分の考えが100%正しいわけではない」と思えるようになれば、相手の言動や失敗に過剰に腹を立てたり、他人を攻撃したりすることも少なくなるはずです。
話しているときに必死で自己アピールをする人や、他人の生き方や考え方の違い、他人の失敗を許さない人と、多少の違いや欠点を大らかに受け入れ、落ち着いてちゃんと話を聞いてくれる人。どちらのほうが「話しやすい」と思われやすいかは、言うまでもないでしょう。
ありのままを受け入れてくれた人たち
自分自身を受け入れるというのは、とても難しいことのように感じる人もいるかもしれません。
私が自分自身を受け入れられるようになったのは、30代を過ぎてからのことです。それまでの私は、劣等感のかたまりでした。容姿に対しても性格に対しても才能に対してもまったく自信が持てず、周りの優れた友人たちと比べては、嫉妬したり、ひけめを感じたりしていたのです。
そんな私が、自分自身を受け入れられるようになったのは、一つには、私をそのまま受け入れてくれた人たちのおかげです。私のいいところは褒め、ダメなところ、弱いところは「それも村本らしさだよね」と言ってくれる人が何人かいることが、大きな支えになっていると思います(ただ、そうした人と出会えるかどうかは、運次第なところがあり、「みなさんの周りにも、そんな相手が必ずいるはず」とまでは言い切れないのですが)。
もう一つは、厳しいゲイ友だちのおかげです。20代の頃、私の周りには、変に観察眼が鋭くて口の悪いゲイ友だちがたくさんいて、劣等感や欠点や弱点など、私が隠そうとしていることは容赦なくついてくるし、少しでも勘違いしたり自分を哀れんだりすると、すぐに「勘違いすんなブス」「悲劇のヒロインぶってんじゃないわよ」とつっこんできました。
そのときはもちろん腹も立ちましたが、彼らからの攻撃に鍛えられ、私は徐々に、「弱点や欠点はヘタに隠そうとするより、堂々と認めてしまったほうがラクだ」と学びましたし、相手からつっこまれる前に、自分で自分の気持ちや考えを、できるだけ冷静に客観的にチェックするようになりました。