井村屋が「アンナミラーズ」の閉店を決めた経緯 長く愛された一方で抱えていた課題

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日本は当時、奇跡的な高度経済成長を成し遂げていた。急激に成長した都会では、農山村から流入した大量の若者たちが、新しい家族を作り始める。生活習慣が大きく異なる都会に出てきた彼らは、大きく変わる時代の中で、周りと歩調を合わせるライフスタイルを指向した。

こぞって結婚して子どもを産み育て、ローンを組んで郊外に家を建てマイカーを買う。無難な白いセダンが人気の時代だった。奇跡の経済成長は、大量生産大量消費の効率的なシステムを構築したことで、成し遂げられた部分もある。

あえてのスイーツで差別化に成功

そうした時代に、それまでは俗人的で効率化が難しかった飲食店の料理とサービスをマニュアル化し、職人を不要にしたチェーンビジネスは新しい発想だった。もちろん日本でも、それまでにも大正時代にできた須田町食堂(現聚楽)や不二家レストランなどの先駆的なチェーンレストランはあった。しかし、本格的に浸透するのは1970年代からである。

そうした時代に、あえてスイーツが看板のブランドを展開した井村屋は、差別化に成功したと言える。すかいらーくもアメリカンダイナーにヒントを得ているが、アンナミラーズは忠実にアメリカのアンナミラーズの世界を再現したところに違いがある。首都圏に絞って展開したのは、「世田谷区経堂の工場からパイなどを運べる範囲にしか出店しない」方針を取っていたから。

高輪店は開店以来、好立地で人気を集めた(写真:井村屋提供)

陰りが見え始めたのは、バブル崩壊後の1990年代。ファミレスはすかいらーくが低価格のガストに切り替わる、効率化を突き詰め味は本格志向のサイゼリヤが勝ち組に躍り出るなど、デフレ時代に対応したビジネスモデルに切り替わる。また、ファミレスの画一的なサービスは、1980年代に本格化したグルメブームで外食店の選択肢が増えたことや、外食慣れした世代が大人になったこともあり、飽きられてきた。

スイーツに関しても、1990年代にはティラミスを皮切りにさまざまな目新しいスイーツが流行った。もちろん、1991年に日本でも放送されたアメリカの人気ドラマ『ツイン・ピークス』がきっかけで訪れたチェリーパイブームののちは、アンナミラーズも「『ツイン・ピークス』に出てきたチェリーパイ」として紹介している。

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