井村屋が「アンナミラーズ」の閉店を決めた経緯 長く愛された一方で抱えていた課題

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ブランドの人気のピークは、高輪店が開業した1983年頃から1993年頃。1995年には21店舗の最大店舗数になった。しかし、都心部と客層が異なる郊外への出店はあまりうまくいかず、早いところでは2年で撤退。2000年以降は撤退の動きが加速する。高輪店の前に閉店したのは、2012年の横浜ランドマークプラザ店と10年も前になる。

1973年にアンナミラーズが開業したきっかけは、井村屋製菓(現井村屋グループ)の井村二郎初代社長が外食産業の視察でアメリカに行った際、アンナミラーズと出合ったこと。「今後の成長性を感じたものですから、帰国してから役員たちにも見てくるよう指示した」(尾崎氏)。

アンナミラーズの青山店(写真:井村屋提供)

「食感のある練りパイ生地や濃厚なカスタードクリームを使うパイ、コーヒーのおかわり無料サービス、かわいらしいウェートレスのユニフォームなど、日本になかったスタイルに特色がある、と導入したと聞いています」と尾崎氏。別事業でパイを手がけていたこともあり、事業の親和性があると判断した。

和菓子のイメージが強い井村屋と一線を画すため、別会社のアンナミラーズジャパンを立ち上げ、ブランド展開を始める。ちなみに井村二郎元社長は、アンナミラーズの展開開始と同じ年にロングセラーの氷菓「あずきバー」を売り出した人でもある。

外食産業黎明期に登場したアンミラ

アンナミラーズが登場した1970年代前半は、外食産業黎明期。1969年に第二次資本自由化が行われたことで、外資系の外食チェーンのマクドナルドやデニーズなどのファストフード、ファミレスのブランドが続々と上陸。同時に、ロイヤルホストやすかいらーく、モスバーガーなどの国産ブランドも次々に誕生した。

国産ブランドも、訪米視察で刺激を受けた創業者たちが立ち上げている。それだけ、アメリカのチェーンビジネスが輝いていた時代であり、日本人ビジネスマンたちが「必ずヒットする」と予感を抱くのも当然だったと言える。

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