「三条と岩倉が、朝鮮使節についての方針を定め、それを途中で変更しないこと」
大久保は書面で、三条と岩倉の立場を明確にさせて「自分はただ2人に従うのみ」というかたちをとった。途中で自分を裏切らないように手を打っておいたのだ。三条と岩倉が掲げた方針は次のようなものだった。
「もし使節が殺されれば朝鮮との戦争が起きるから、戦備充実のため時間が必要なので、使節の派遣は延期したい」
本音としては、政府の中心メンバーである西郷を使節として送りたくなかったが、それでは角が立つため、とりあえず決定を先延ばしにしようと、三条と岩倉は考えた。いかにも事なかれ主義の公家らしいが、大久保はその方針に従って、国家財政面で今すぐの戦争は難しいという主張を展開することとなった。
三条からすれば、大久保に釘を刺されているため、いくら西郷が「欠席」というかたちで圧をかけてきても、使節派遣は延期の方向で貫くほかないように思えた。大久保は2度目の閣議でも、同様の主張を行っている。
だが、1人の男が大久保に食ってかかることになる。元佐賀藩の参議、江藤新平である。
司法卿としてさまざまな改革をした江藤新平
江藤新平は司法卿として、大久保が海外で留守の間に、さまざまな改革に着手。「留守中は大きな改革を行わない」という約束を反故にしている。そればかりか、よりによって江藤は、大久保の管轄である大蔵省の権限も縮小させた。
そんな状態を放置した西郷への怒りを示しながらも、大久保が本当に激しい感情を抱いたのは、張本人の江藤であることは言うまでもない。同じ参議の立場になった今、どうやりこめてやろうかと考えていたら、向こうから攻撃をしかけてきた。
江藤の論旨は極めて明快である。使節の延期論に対して、こう主張した。
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