対して西郷は欧米列強からアジアを守るためには、日本がリードすべきだと主張。自ら使節となり朝鮮に渡り、国のために命をも惜しまない士族たちの精神をもって、国を立て直そうとした。
高邁な理想を掲げたのは、それだけ明治政府が堕落していると、西郷が不満を持っていたからにほかならない。
「私だって今の政府が理想的だとはまったく思えない」
薩摩藩の国父である島津久光から、政府の方針を責められるたびに、西郷はそんな思いを募らせたのだろう。スケールが大きい理想主義の西郷と、できることを1つずつやろうとする現実主義の大久保がぶつかり、会議は紛糾。結論は出ないまま、翌日へと持ち越された。
西郷は翌日の閣議を「欠席」
だが、翌日の15日の閣議で、西郷はいかにも彼らしい行動に出ている。自分が話題の中心にもかかわらず、欠席したのである。代わりに三条に、次のような趣旨の文書を手渡した。
「朝鮮には、平和的に使節を送るのが望ましく、私が日朝親善関係の実現をやり遂げたい」
大事な閣議に欠席とは、投げやりにも思える西郷の態度だが、「自分の不在」を印象づけるのに、これ以上ない方法だ。朝鮮への使節派遣を阻止した場合は、まさに今の状態のように、西郷はいなくなってしまう。はたしてそれで政権運営は可能なのだろうか。西郷の欠席は、そんな厳しい現実を突きつけることになった。
もちろん、大久保はこの手の展開は読み切っていた。西郷と論戦になれば、相手は「主張が通らなければ政権からは離れる」と離脱をほのめかして、揺さぶりをかけてくるに違いない。そんなとき簡単に動揺するのは、いつも公家である。
だからこそ、大久保は三条や岩倉から参議就任を打診されたときに、最初は何度も固辞している。「西郷と対立したくない」のが一番の思いだが、「もし自分と西郷を対立させるならば、はしごを外すことは許さない」という大久保の駆け引きもあった。
そのため、大久保は参議に就任するにあたって、三条と岩倉にこんな条件を出している。
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