50代で銀行員→アートへ、彼の転身に感じた意味 他己評価に縛られない自己の年齢の重ね方が大切

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
異色の転身から見えてくるものは?(写真:Fast&Slow/PIXTA、chandlervid85/ PIXTA)
今や、学校を卒業したら就職した会社で定年まで働き、老後は悠々自適といった人生設計は成り立ちにくい。多くの人が長い人生の中で何らかの変化を求められるとしたら…。
25万部突破のベストセラー『定年後』の著者、楠木新氏がさまざまな著名人、そして一般の人たちが何に悩み、どうキャリアチェンジを果たしたのかに迫った新著『転身力』より、一部抜粋、再構成してお届けします。

銀行員からアートの世界へ

もう10年以上前になるが、日本とアメリカのそれぞれの金融機関で働いたのち、ドイツの木製人形の世界に転身した中村一行さんに話を聞いたことがある。彼は大学を卒業して入社した日本の銀行では海外支店の新規の開設などに取り組み、30代以降は転職して数社の外資系銀行で要職を務めた。

しかし外資系の銀行は各社員の仕事の範囲が明確で、個人の責任を厳しく問われ、また社員の自己主張もはっきりしているので、組織に所属する一体感を感じにくくなっていた。心の安らぎという点ではチームで仕事を進める日本の銀行を懐かしく思うこともあったそうだ。

30年に及ぶ金融業界での仕事でそれなりのキャリア、実績、人脈ができたという満足感がある一方で、50歳頃から、残る人生があと30年あるならもう一度別のことに挑戦したいと考えるようになった。

残りの人生をどうするかと考えた時、人の心の琴線に触れるアートの仕事が頭に浮かんだ。ニューヨークのドイツ人街に住んでいた時、ある店でくるみ割り人形に出会い、その精巧さと木のぬくもりに魅了された経験が原点だった。その案には妻も大賛成だった。

50代早々に退職した2日後には、くるみ割り人形の故郷とも言えるドイツ東部のザイフェン村へ妻とともに飛び、半年後、自宅に「小さなミュージアム」を開いて、販路開拓にも力を尽くした。

次ページ退職前の収入には遠く及ばないものの
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事